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【豊臣兄弟!】千利休と羽柴秀次が切腹…2人の介錯を務め「首」を斬った武将・雀部重政の悲劇的な末路

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秀次に殉じた悲劇の最期

重政の運命は、天正19年(1591年)1月に羽柴秀長(小一郎)が世を去ったことがキッカケで暗転していきます。

天正19年(1591年)2月28日に千利休が切腹を命じられた際、重政はその最期を見届ける役を命じられました。

一説には重政が介錯を務めたと言われ、自分の手で師匠の命を絶ち斬るのは、想像を絶する苦痛だったことでしょう。

やがて秀吉に実子の拾丸(後の豊臣秀頼)が誕生すると、それまで後継者候補となっていた秀次の立場が危うくなります。

そして文禄4年(1595年)7月15日、秀次は謀叛の濡れ衣を着せられて切腹を余儀なくされてしまいました。

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重政は秀次の介錯を務め、その最期を見届けた後に殉死します。享年37歳。我が手で師匠を斬り、また主君を斬らねばならない悲劇的な最期でした。

秀次の介錯に用いられた南都住金房兵衛尉政次の銘刀は、兄の六左衛門が引き取り、その子孫によって受け継がれたそうです。現在は大阪城天守閣の博物館で保管されているといいます。

重政の息子であった雀部重良(しげよし)は外祖父(重政の舅)に当たる佐野綱正が養育しました。やがて徳川家康に仕えて小姓となり、後に旗本として近江国に8百石を賜ったということです。

終わりに

今回は雀部重政の生涯をたどってきました。戒名は大雄誓義居士(だいゆうせいぎこじ)、墓所は知恩院塔頭如意庵にあり、今も人々を見守っています。

果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」には、雀部重政が登場するのでしょうか。今後も楽しみに見守りたいと思います。

※参考文献:

 

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