『風、薫る』の舞台にいたもう一人のヒロイン――幕末のジャンヌ・ダルク、新島八重がみせた銃から看護への転身:3ページ目
看護婦の功績で女性限定の宝冠章を2回授与
篤志看護婦としての新島八重の活躍は、看護婦の地位の向上にもつながりました。
明治29年(1896)には活躍ぶりが評価され、対象を女性に限定した勲七等宝冠章を授与しています。
その後、八重は篤志看護婦人会の看護学修業証を得て看護学校の助教を務めました。
さらに、明治37年(1904)日露戦争時には、大阪の陸軍予備病院で2か月間篤志看護婦として従軍し、その功績によって勲六等宝冠章が授与されています。
(下写真、明治29年12月25日の項目の右から二番目『新島やゑ』の名前が)
八重が、記者に述べたとされる自分の看護体験の中に以下のようなものがあります。
他日人の妻母たらんとする女学生諸子は、何卒看護の片端なりと心得居られたし。
(栗屋七郎「日本の黄鶯嬢―広島に於ける看護婦―」同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」)
現代語に意訳すれば、これから将来、人の妻や母親になる女学生の皆さんには、どうか看護の基礎だけでも身につけてほしいと思います。
という感じでしょうか。
この言葉は、「風、薫る」のドラマの中で、看護婦養成所に入学した生徒たちが最初に学んだナイチンゲールの『看護覚書』(Notes on Nursing)を思い出しました。
1859年の初版は、専門職である看護婦向けではなく、家族が病人になったときに看護を行う母や妻などの女性向けに書かれたものだったそうです。
家庭でも“看護”は欠かせないと知っていた八重
「何卒看護の片端なりと心得居られたし」という八重の願いは、120年以上経た今でも実感します。
コロナ感染拡大期、メディアや病院なども「家庭内感染を防ぐ方法」をさかんに報じていました。
病人や怪我人にとって“看護”は欠かせないもの。プロには到底及ばないものの、ある程度の基礎知識を持っていれば自分の“手”で家族を癒すこともできます。
その重要性を、八重は自身の体験から身を持って知っていたのでしょう。
戦時は故郷を守るため「幕末のジャンヌ・ダルク」として戦い、時代が移り明治になると、銃を持つ手を“看護の手”に変えた新島八重。
「日本のナイチンゲール」と呼ばれようになった……というのが納得できる、激動の人生を送った女性でした。
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参考:
・會津物語「八重の物語」
・同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」「八重の看護団」
吉海 直人(日本語日本文学科 教授
・ご存じでした?日本赤十字と新島八重の深い関わり(赤十字ヒストリー)
・日赤初のボランティア組織【篤志看護婦人会発起人名簿】
・新島八重〜スペンサー銃からバイブルへ八十七年の軌跡 笹川壽夫(著)


