【豊臣兄弟!】秀長は逃げない!史実が明かす、賤ヶ岳の勝敗を分けた「守りの名将」の真骨頂:2ページ目
「逃げましょう」と言う、桑山重晴の進言を退けた秀長
大岩山砦を落とした佐久間勢は、秀長と桑山重晴(住田隆)が守る田上山砦に迫ります。
秀長に得意なことは何かと聞かれ、「長生きすること」と語った重晴。押し寄せる佐久間勢を見るや否や、「逃げましょ。この戦、もはや勝ち目はありません」と秀長に撤退を進言します。
この重晴、史実では秀吉の命で賤ヶ岳砦の守将を務めていました。その戦いぶりはというと、佐久間勢に対して味方をするように見せかけながら、のらりくらりと時間を稼ぎます。
その後、重晴はいったん砦を捨てて下山しようとしますが、援軍として駆けつけた丹羽長秀と合流し、賤ヶ岳砦を維持しました。戦後、重晴は加増されて竹田城主となり、その後も大名家として存続し、天寿を全うした人物です。
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撤退を主張する重晴に秀長は、「まだ先陣が来ただけじゃ。いましばらくここで食い止めるのじゃ」と、これをはねつけます。そして佐久間勢に対し、砦の柵内から鉄砲と弓の交互射撃を展開し、攻め手を悩ませました。
この秀長の戦い方を彷彿とさせるのが、留守中に秀吉が秀長へ出した『羽柴秀吉書状』(長浜城歴史博物館蔵)です。
そこには、「惣構の堀から外へ鉄砲をうつことは言うまでもなく、草刈りにいたるまで一人も兵を外に出さないこと」と事細かに指示が記されていました。


