【風、薫る】「私はファイターだって」大山捨松、暴言軍人を一喝!看護婦の名誉を守った史実と名場面:2ページ目
小松宮妃と共に軍人病院を慰問したとされる大山捨松
広島文化学園大学看護学部・看護学研究科教授・佐々木秀美氏による『日本初のTrained nurse” 大山捨松の生涯とその時代の伝染病対策及び女子教育』によると…
捨松は,日清戦争中,篤志看護婦婦人会の幹事長小松宮彰仁親王頼子妃(1852-1914)が,広島陸軍予備病院や呉海軍鎮守府病院などを訪問する際,同行した。(注出典:久野明子著『鹿鳴館の貴婦人大山捨松』(中公文庫,1997年 P277)
と、紹介しています。ただし、
『呉海軍病院史』には,皇太子や皇后陛下等の皇族方,華族の方々が訪れたと記載されているが,捨松等の個人名は特に記載されていない。
(注出典:呉海軍病院史編集委員会:呉海軍病院史,p51,2005年)
と、されています。
実際、冒頭でも触れたように、大山捨松は米国大学在学中からアメリカの赤十字に強い関心を寄せていたそうです。
そして、ヴァッサー大学卒業後にニューヘイブン病院で2か月間、実地看護に従事し、看護婦の免許を取得しています。
そのスキルや知識を発揮したのでしょう。
「日本赤十字篤志婦人会」の発起人となっただけではなく、日本赤十字社で戦傷者の看護もこなし、政府高官夫人たちを動員して包帯作りなどの活動も行ったと伝わります。
以前、ドラマで「炊き出し」の場面があったとき、捨松は「自分自身も会津戦争を経験して、飢えに苦しめられた思いを忘れられない」と語っていました。
たぶん、そのとき現場で多くの負傷した人々を目の当たりにしてきた捨松は、“看護”の大切さを身に沁みて感じたのではないでしょうか。
