【豊臣兄弟!】定説が覆る可能性…和睦は家康から?「小牧・長久手の戦い」で秀吉が発した朱印状2通が発見:2ページ目
二通目の朱印状
日付は天正12年(1584年)9月6日、誰にあてたものかはハッキリしません。朱印状の中で秀吉はこんなことを言っています。
「小牧の西側へ回り込んであちこちへ火を放ちまくり、新たに数ヶ所の砦を築かせた。まだまだいくらでも戦うつもりだ」
「そうしたら、信雄と家康から『人質を出すので和睦したい』と言ってきた」
「返答を焦らしていたら、今度は『信長の弟(誰?)や徳川家臣たちからも人質を出す』と言ってきた」云々。
何だ、こちらはやる気満々だったのに……そこまで言うなら、和睦してやろうかな。とでも言わんばかりです。
確かに当時の秀吉なら、まだまだ戦力を投入できたでしょう。とは言えまだまだ天下には強豪が残っていたため、油断のならない状態でした。
家康と秀吉によるギリギリの我慢比べを、制したのは秀吉だったのでしょうか。
終わりに
今回の朱印状は兵庫県たつの市の民家(龍野藩士子孫宅)で発見されたもので、令和8年(2026年)8月4日に市立龍野歴史文化資料館が発表しました。
「『家康側が勝った』とされる戦いだが、2点を合わせ、戦いの趨勢(すうせい)をより詳しく知るための貴重な資料になる」
※村井祐樹・東大史料編纂所准教授(日本中世史)
「資料調査に行かせてもらった時に額に入って飾られていて秀吉の朱印状を見てびっくりした。エネルギッシュで上司にしては厳しい細かい指示もある。相当な人物で部下の安治も大変だったと思う」
※新宮義哲・龍野歴史文化資料館館長
これまで家康優位と考えられてきた小牧・長久手の戦いですが、新たな史料の発見や研究によって、その実態が明らかにされていくことが期待されます。
今回発見された秀吉の朱印状は、令和8年(2026年)10月24日から龍野歴史文化資料館で一般公開されるのこと。よかったら、ぜひ足を運んでみてください。
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