【豊臣兄弟!】“情けない姿”に騙されるな!知略の名将・桑山重晴の「偽りの降伏」が秀吉を救っていた:4ページ目
徳川政権下でも生き延びる
秀吉の死によって、豊臣政権は大いに混乱しました。信長の時もそうですが、一代で事業を急成長させたカリスマが喪われると、その反動は非常に大きくなるものです。
慶長5年(1600年)に勃発した関ヶ原の合戦では、徳川家康(松下洸平)率いる東軍に属し、和歌山城の守備に当たりました。
勝利によって所領を安堵された重晴は再び隠居し、嫡孫の一晴に二万石、自分の次男である桑山元晴(もとはる)に一万石を分け与えます。
残り一万石のみを自身の所領としましたが、一晴から四千石、元晴から二千石をが養老領として返還されました。そのため重晴の所領は一万六千石となり、これが和泉谷川藩となります。
そして慶長11年(1606年)10月1日、83歳で世を去りました。徳川将軍家は生前の功績により、その遺領を召し上げずに子孫たちへ配分してやったということです。
終わりに
羽柴家の家臣
もとは秀吉に仕えていたが、賤ヶ岳の戦いのころ秀長に家臣として仕え、筆頭家老となる。紀伊和歌山城代を務め、内政・軍事で秀長を支えた。※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
今回は小一郎に仕えて活躍した桑山重晴の生涯をたどってきました。
初登場の第32回放送「賎ヶ岳(しずがたけ)の決闘」では、いかにも風采があがらず、すぐに降伏しようとする情けない人物として描かれています。
マイナスイメージからのスタートとなってしまいましたが、果たしてここからどのように盛り返していくのでしょうか。今後の活躍に期待しています!
関連記事↓
【豊臣兄弟!】加藤清正(伊藤絃)だけじゃない!賤ヶ岳で武勲を立てた「賤ヶ岳の七本槍」7人の功績と末路
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第32回放送「賤ヶ岳(しずがたけ)の決闘」では、加藤清正(伊藤絃)が佐久間盛政(遠藤雄弥)と一騎討ちを演じている場面が描かれていました。しかし賤ヶ岳の戦いでは、清正だけ…
『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)が登場!国宝茶室「待庵」わずか二畳に凝縮された“わび茶”の美学
器をしげしげと見つめながら、「前よりずっとええわな」とつぶやく男。そうです、みなさん。『豊臣兄弟!』に、千利休がやっと登場しました。『豊臣兄弟!』第32回「賤ヶ岳の決闘」の最後に流れた…
【豊臣兄弟!】利家はなぜ勝家を裏切った?中川清秀の描かれ方に疑問…史実をもとに第32回放送の考察
「わしは天下人になる。新しき世を共に作ろう」羽柴秀吉(池松壮亮)の調略を受け、葛藤を抱えていた前田利家(大東駿介)は、柴田勝家(山口馬木也)に天下人を目指すよう求めました。しかし勝家は…
※参考文献:
- 阿部猛ら編『戦国人名事典』新人物往来社、1990年
- 柴裕之 編『シリーズ・織豊大名の研究 14 豊臣秀長』戎光祥出版、2024年11月
- 高柳光寿ら『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年
- 『寛政重脩諸家譜. 第6輯』国立国会図書館デジタルコレクション




