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吉田松陰の妹を「2人娶った男」――幕末、陰で長州藩を動かした知られざる実務家・楫取素彦【前編】

吉田松陰の妹を「2人娶った男」――幕末、陰で長州藩を動かした知られざる実務家・楫取素彦【前編】:2ページ目

松陰が亡くなったあとも、藩の仕事は続いた

1859(安政6)年、吉田松陰は幕府によって処刑されました。松陰の死後、その門下からは高杉晋作や久坂玄瑞らが政治の世界へ出ていきます。長州藩そのものも、幕府との対立を深めていきました。ただ、楫取は高杉や久坂のような動き方をしていません。ここが楫取を見るときの面白いところです。

彼は、政治運動の先頭に立って大声を上げるタイプではありませんでした。藩士として、与えられた仕事を一つずつ進めていく。藩の方針を伝える。人と人の間に入る。交渉する。

楫取の生き方は、決して派手ではありません。けれど、こういう仕事がなければ藩の政治は動きません。歴史の教科書では、どうしても「誰が何を言ったのか」「誰が戦ったのか」が目立ちます。その裏側には、文書を作ったり、交渉に出向いたり、人間関係を調整したりする人たちがいました。

楫取は、そちら側の人間だったと考えるとわかりやすいでしょう。松陰が人を育て、高杉や久坂が激しく時代を動かしていく一方で、楫取は藩の中で仕事を続けていました。この違いは、楫取という人物を見るうえでけっこう大事です。

薩長同盟の時代

幕末になると、長州藩と幕府の対立はさらに激しくなります。1864(元治元)年には長州征討が行われ、長州藩は厳しい状況に置かれました。

ところが、その後に大きな変化が起こります。長州と、それまで敵対していた薩摩が手を組むことになったのです。1866(慶応2)年に成立した薩長同盟です。今では「薩摩と長州が手を組んだ」と簡単に説明されます。しかし、考えてみればかなり大胆な話です。

少し前まで戦っていた相手と、今度は一緒に幕府と向き合う。そう簡単に話がまとまるわけではありません長州側では木戸孝允らが交渉に動き、坂本龍馬らも両藩の間を取り持ちました。楫取も、このころの長州藩の政治の中で仕事をしています。

こうした激動の時期に藩の実務を担っていたのが、楫取だったのです。

3ページ目 妻・寿の死と、文との再婚

 

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