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朝ドラ『風、薫る』中村倫也演じる柳生藤次のモデルは誰?明治時代「衛生」に携わった伝説の医系技官の史実

朝ドラ『風、薫る』中村倫也演じる柳生藤次のモデルは誰?明治時代「衛生」に携わった伝説の医系技官の史実:3ページ目

東京復興の大役を担った・後藤新平

安政4年(1857)、胆沢郡塩竃村(現在の岩手県奥州市)水沢藩士の家に生まれた後藤新平

17歳で須賀川医学校に入学し優秀な成績で卒業、愛知県医学校(現在の名古屋大学医学部)で医師として働くも24歳で学長・病院長になるという異例の出世を遂げた人物です。

明治15年(1882)、愛知県医学校での実績を見出されて内務省衛生局に入り、官僚として病院・衛生に携わることに。明治25年(1892)には、長與專齋の推薦で内務省衛生局長に就任しました。

ところが翌年、相馬事件(相馬藩主の処遇や家督をめぐるお家騒動)に連座して収監、無罪になるも衛生局長は失脚します。

その後、明治28年(1895)には日清戦争の帰還兵への検疫業務を行う臨時陸軍検疫部事務官長として復帰し、見事な手腕を発揮。

「衛生行政のプロ」として上司だった児玉源太の目に止まります。

その後、児玉が日本が統治していた台湾総督府の総督となると補佐役に抜擢。その手腕は高く評価されて、内務大臣・東京市長・外務大臣などの重要な役職を歴任しました。

1928年の関東大震災では再度内務大臣となり、甚大な被害を受けて壊滅状態となった東京復興のに尽力したそうです。

内務省衛生の報告書に記されている注意すべき伝染病の原因

明治12年(1879)にコレラが大流行した際、内務省衛生局は『虎列剌病(これらびょう)流行紀事』という報告書をまとめました。

また、コレラの予防や鎮静化を目的とした『虎列剌予防の諭解』も刊行しています。

その中で、「虎列刺その他の伝染病の心得」として以下を挙げています。

伝染病の原因の四項目として、
(甲) 空気
(乙) 飲水
(丙) 飲食物
(丁) 他人との交通
と、書いてあり、それぞれの対策が詳しく書いてあります。

これらを見ると、明治時代からすでに清潔、衛生、換気、飲食物や飲水、排泄物の処理などに注意を払うことが重要と考えられていたのがわかります。

ドラマ「風、薫る」でも避病院でこれらの対策を行う様子は描かれていましたね。

基本的には病院勤務のときと同じですが、ものが揃っていない病院以外の環境でこれらをすべて行うとなると、いかに大変かが伝わってきました。

4ページ目 看護の現場と社会全体のためのルールを作っていく役人と

 

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