「大うつけ」はポーズ?若き織田信長が京都で目撃した将軍の権威と「三好長慶」の実力:3ページ目
三好長慶の政治
当時、全国の有力大名を京都へ呼び寄せる力を持っていたのが足利義輝でした。ところが、実際の畿内政治では三好長慶が強い影響力を持っていました。
長慶は、将軍を中心とした政治の仕組みを利用しながら、畿内に強大な勢力を築いていたのです。
彼の政治手法は独特でした。権威を持つ者と、実際に政治を動かす者を別に分けていたのです。
信長が京都で見たのは、足利義輝の権威と三好長慶の実力が入り組んだ政治でした。後に大きな勢力を築く信長にとって、これは重要な政治の実例になったと考えられるでしょう。
彼は尾張の商業地で人々と接し、斎藤道三と縁を結び、信勝と織田信賢を退け、最後には三好長慶の政治を目にしました。
そこから信長が具体的に何を学んだのかは、史料だけでは断定できません。しかし、この時期の信長が地方の争いだけではなく、将軍と実力者が動かす中央政治にも目を向けていたことは確かでしょう。
大うつけと呼ばれた若者は、ただ奇抜なだけではなかったのです。
そして信長のその後を知るには、まず三好長慶がどのように畿内を支配し、なぜその政権が衰えていったのかを見る必要があります。そこには、若き信長が吸収した戦国政治の現実が隠されているのです。
参考資料:出口治明『10人の英傑が「この国」を変えた 大転換の日本史』2025年、PHP研究所
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