『豊臣兄弟!』お市と柴田勝家、自刃しての最期と「辞世の句」…運命を共にした2人の悲劇:2ページ目
かつて四面楚歌に追い詰められた楚国の覇王項羽(こう う)と愛妾の虞美人(ぐびじん)の恨みと悲しみが思い出された。
城中の将兵はみな微睡み、ホトトギスの鳴き声が雲井町響き渡って別れの哀情を掻き立てる。
お市の方が辞世を詠む。
さらぬだに うちぬる程の 夏の夜の
別れをさそふ ほととぎすかな【歌意】夏の夜に名残を惜しんでいたら、ホトトギスが別れを促しています。何と無情なことでしょうか。
続けて勝家はこんな辞世を詠んだ。
夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を
雲居にあげよ 山ほととぎす【歌意】夢のように儚(はかな)い生涯であったが、ホトトギスよ、どうか我らの名が雲まで届くよう高らかに鳴き伝えてほしい。
ここに文荷斎も辞世を詠み添える。
契(ちぎり)あれや 涼しき道に ともなひて
後の世までも 事(つか)え仕えん【歌意】来世でも忠義を尽くしますので、どうかお供することをお許しください。
勝家は文荷斎の忠義を感じて柄にもなく感涙を流したと言う。
お市の方や他の女房たちは声を揃えて念誦称名(ねんじゅしょうみょう)を唱え、それがまた哀情を誘った。
小島若狭守と文荷斎があらかじめ天守に仕掛けておいた込草(こめぐさ。焚きつけ用の乾し草)に火をかける。
周囲に火が回ると、下人や下女らを退去させた勝家らは、天守の五階へ上った。そして燃え盛る炎の中で勝家とお市の方、ほか男女三十数名が自害して果てたのである。
時に天正11年4月24日、申刻(16:00ごろ)であった。