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【豊臣兄弟!】光秀・秀吉、涙の茶室。“主”は違えど忠義は同じ…始まる豊臣の「天下への道」

【豊臣兄弟!】光秀・秀吉、涙の茶室。“主”は違えど忠義は同じ…始まる豊臣の「天下への道」:2ページ目

秀吉は「山崎の戦い」に間に合わなかった…

「本能寺の変」後、頼りにしていた畿内の諸将の多くは味方になってくれず窮地に落ち込まれた光秀。

実際、秀吉や摂津衆(池田恒興・高山右近・中川清秀)らと光秀が激突した天正10年6月13日の「山崎の戦い」は、現在の京都府大山崎町周辺で行われました。

ところが、「山崎の戦い」に関しては新説が浮上しています。

2026年に公開された「小寺職隆・生駒七郎右衛門尉宛、羽柴秀吉書状」によると、「織田連合軍が明智軍と戦って勝龍寺城に撤退させ、山崎には先発隊が陣を張っている。自分(秀吉)も明日には西岡(勝龍寺城がある)に到着するので安心してほしい」という内容が記されていたそう。

ところが、光秀は勝龍寺城には籠城せず先発隊に討ってでたため、「秀吉は山崎合戦には間に合わなかった」という説が注目されています。

見誤った秀吉が遅刻したため、光秀討伐の第一の戦功者は池田恒興(堀井新太)と摂津衆で、彼らが本来の信長敵討の立役者だ…いう説もあります。

光秀の尊厳を重視した秀逸の茶室ストーリー

兵力差が歴然だった「山崎の戦い」は、短時間で決着。光秀は敗軍の将となり、「逃亡中に、農民らの落ち武者狩りに遭遇し命を落とした」説が有名です。

けれども、「豊臣兄弟!」では「落武者狩りに殺害」というエピソードにはしませんでした。

このドラマで描き続けて来た光秀像は、賢く人間力があり真面目過ぎるほど忠義に篤く優しい人物像。そんな、光秀の尊厳を重視した斬新かつ秀逸なストーリーとなりました。

竹藪のなかを逃げる光秀を捉えた石田三成(松本怜生)。

問答無用で首を斬る……ということはせず、生きたまま光秀を捕えて、秀吉の待つ茶室に連れて来ました。

秀吉は、光秀と茶室で二人きりになり、どうしても聞いて確かめたいことがあったのでした。

それは……「蟄居中」だったのに自分が信長に頼んで許してもらった織田信澄(緒形敦)のこと。

少し前、敵討に燃える織田信孝(結木滉星)が「織田信澄を処分した。あれほど目をかけてやったのに。逆賊の子は逆賊!父上も甘いな」といった言葉が胸に重くのしかかっていたのです。

自分が、信澄を許すように上様に頼んだことが仇になったかと悩む秀吉。

「いざいくぞ!」と怪気炎をあげる信孝に「今動くのは、危険です」と引き留めた秀吉。

「よくもそんな平静なことを!」と怒る池田恒興に対し、「平静?」「わしのはらわたはにえくり返っておりますぞ」といった時の秀吉の顔がすごかった。

今までの秀吉とはガラッと変わった別人のような表情でした。顔つきも声も、すでに「これからなっていく豊臣秀吉」そのもの。

高い演技力が評価をされている池松壮亮さんですが、この目つきや声の変わりようは、ネットでも驚きの声が上がっていましたね。

けれども、そのときの表情は微塵も出さず、秀吉は静かに座して茶の準備をしつつ光秀を迎え入れたのでした。

3ページ目 「自分が上様を死に追いやった」という後悔

 

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