朝ドラ『風、薫る』直美に急接近する軍人・小川吾郎(甲斐翔真)は“未来の夫”か?実在モデルとの共通点に注目:3ページ目
直美のモデル・鈴木雅の夫は陸軍の軍人だった
大家直美は、実在の人物・鈴木雅がモデルです。
雅の夫・鈴木良光は嘉永2年(1849)幕臣の陸軍奉行並支配・鈴木良右衛門の息子として江戸で生れました。雅とは9歳ほど年が離れています。
父と共に鳥羽伏見の戦いに参戦し、全国を転戦した後に五稜郭に立てこもるも、良光は榎本武揚の説得により降伏しました。
明治4年(1871)には、陸軍東京鎮台第三分営へ大尉心得として入営、明治5年に陸軍大尉、明治7年には大阪鎮台歩兵第九連隊第二大隊所属となります。
さらに、明治10年(1877)、歩兵第9連隊第二大隊長心得(大尉)として西南戦争に出征します。その後も陸軍の中で着実に成果を積み重ねていった良光は、同年少佐に昇進しました。
ところが、良光は西南戦争の最中に太ももに深い傷を負ってしまい、完全に治すことはできず、以降後遺症の痛みに苦しめられることになりました。
翌年、明治11年(1878)に、良光は静岡県士族加藤信盛の娘、加藤雅と結婚します。結婚後、夫婦は京都で新婚時代を過ごした後に、良光が学校教官になったために上京、その後は仙台に移っています。
ところが、良光は仙台にて明治16年(1883)に病没。
わずか5年の結婚生活でしたが、娘と息子二人の子供に恵まれています。
看護技術があれば夫も安らかに過ごせたと後悔する雅
ドラマの原案小説では、雅は夫との結婚を「良い縁談だった」と語っていました。
「2年間学業をさせてくれたらどんな縁談でも受けると両親に頼みフェリス・セミナリー(いまのフェリス女学院)の寮に入って英語を学んだ後に、夫と結婚した」そうです。
そして「夫の良光は、西南戦争で大怪我を負っていた」こと「息子と娘が生まれて忙しいながらも楽しい毎日だった」と語ります。
雅の夫は傷が原因で亡くなったのですが、「西洋のトレインド・ナースの存在は知っていたので、夫が寝込んだときに看護の技術があれば最後の時間はもっと安らかに過ごせたのではないかと悔やんだ」そうです。
それが、雅が看護婦の道に進んだ動機の一つ。
さらに「夫の恩給で生活は成り立つものの『自立したい』という気持ち」もあったそうです。
そんな思いで上京し、看護養成所に通うようになったのでした。
