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【豊臣兄弟!】本能寺の変1年前、織田信長が京都で見せつけたド派手すぎる軍事パレード『京都御馬揃え』とは?

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武将らも華やかで豪華で派手な装いを

スケールが大きい『京都御馬揃え』は、想像するだけで華やかな行列が眼に浮かぶようです。

皆の大トリを務めたのはもちろん、織田信長。数多の名馬を先行させ、自分は「大黒(おおぐろ)」という名馬に乗っていました。

派手好きの信長の衣装も、かなり派手なものだったようです。

梅の花を飾った冠を被り、紅梅模様と桐唐草紋様の着物、袖口に金糸の刺繍が施された着物、紅色の肩衣と袴、白熊(ヤクなどの毛)の腰蓑という装い。

さらに、金銀飾りの太刀と脇差、鞭、白革に桐紋を入れた弓懸(弓を引く時に使う手袋)に、真紅の毛織物の靴……

という、文字だけでも素晴らしくド派手なコーディネートだったようです。

ノブの姿を想像すると、さぞかし見栄えがしただろうなと思います。(『信長公記』)

ほかの参加者の衣装も豪華壮麗で、それは見事なものだったそうです。

『京都御馬揃え』に参加した武将は約700名、見物人は約20万人も集まりました。

これだけのスケールのイベントを見せられたら、誰でも織田家の威光の前にひれ伏したくなるかもしれません。

山内一豊も名馬で参加して出世のチャンスを掴む

ちなみに皆が豪華な衣装に身を包み、名馬を披露した『京都御馬揃え』では、織田信長に仕え始めた山内一豊が、出世のきっかけを掴んだという逸話があります。

馬売りに東国一の名馬を勧められたものの、お金がなくて買えなかった一豊でしたが、妻の千代がへそくりの10両を差し出したため購入できました。一豊はその名馬で「馬揃え」に参加できたそうです。

信長は、わざわざ名馬を入手したことももちろんなのですが、織田家の家臣が貧乏で名馬を買えないという不名誉な事態を回避させたことを評価。一豊は1,000石を与えられ、出世していきました。

(「天下統一を目前にした信長の家臣らは、そこまで貧乏だったわけはない」という説も)

最期に……

文章だけでも、その壮大なスケールと華やかさや賑やかさが想像できる『京都御馬揃え』。

以前、ドラマの中で、織田信長(小栗旬)が将軍足利義昭(尾上右近)のために、二条御所と称される将軍御所を建てたとき、庭に『藤戸岩』を運び入れたときを思い出します。

藤戸石を綾錦で包み花を飾り、大綱もつけて運びつつ、笛・太鼓・鼓の音曲でにぎわいを演出していました。

「豊臣兄弟!」では、『京都御馬揃え』のパレードはどう描かれるのでしょうか。

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参考:現代語訳 信長公記(太田 牛一 )

 

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