【豊臣兄弟!】本能寺の変1年前、織田信長が京都で見せつけたド派手すぎる軍事パレード『京都御馬揃え』とは?:2ページ目
守備よく務め信長に褒められた光秀
明智光秀は、『京都御馬揃え』の前にも、天正9年(1581)の正月に、安土城下で催された『左義長(さぎちょう)』という小正月に行われる火祭り行事の準備にあたっています。(左義長は、「どんど」「どんど焼き」のルーツとも)
左義長が終わった後、正月23日付の明智光秀宛の信長朱印状(「士林証文所収文書」など)には、
「先度は、爆竹諸道具こしらへ、殊きらびやかに相調え、思ひよらずの音信、細々の心懸神妙に候」
とあります。意訳すると……
「今回の『左義長』では、爆竹や小道具などの準備を見事に整え、非常に華やかな催しにしてくれた。さらに、思いもよらない趣向まで凝らし、細かなところまでよく気を配ってくれたことに大変感心した。」という感じでしょうか。
かなり、光秀の手腕に満足しているような褒めっぷり。
信長の馬廻りの家臣たちは馬に乗って城下に繰り出し、“火薬入りの竹筒を束ねた爆竹”を鳴らしながら走りまわったそう。
「見物群集をなし、御結構の次第、貴賤耳目を驚かし申すなり」(『信長公記』)
見物客は相当驚いたようです。
この安土での『左義長』は大受けで大評判になり、気をよくした信長は「これを京都でもやりたい!」と言い出し、2月に行われる京都御馬揃えに繋がったそうです。
さらに、
「正月廿三日、維(惟)任日向守に仰付けられ、京都にて御馬揃なさるべきの間、各及ぶ程に結構を尽し罷出づべきの旨、御朱印を以て御分国に御触れこれあり」
と記されています。
意訳すると、「1月23日、維任日向守 ( 明智光秀)に命じて、京都で御馬揃えを行うので諸大名・武将たちにできる限り参上すべきであると、信長の朱印状によって、各領国に通知が出された。」というような内容でしょうか。
安土の左義長を取りしきった手腕を認められた光秀は、京都御馬揃えの総括責任者に任命されたのでした。
