【江戸の夜遊び】蕎麦をすすりながら街娼を眺める…現代人には理解不能すぎる江戸時代の娯楽「夜鷹蕎麦」とは?:2ページ目
「夜鷹蕎麦」の誕生
夜鷹が特に話題になったのは、天保の改革のあとでした。
ご存じの通り、天保の改革では水野忠邦が奢侈禁止と風紀粛正を掲げ、厳しい取り締まりを行いました。このため街娼たる夜鷹たちは一時的に姿を消しましたが、政策が緩むとすぐに戻ってきました。
その反動で、以前よりも目立つ存在になったのでしょう。
江戸の町で性風俗を楽しむといえば、誰もが吉原を思い浮かべるでしょう。しかし庶民にとって吉原は格式も料金も高く、気軽に行ける場所ではありませんでした。
一方、市中に立つ街娼は身近な存在でした。生活圏の中で自然に目に入ったことから、庶民の暇つぶしの対象になったのです。
こうして、前述の通り夜鷹が集まる場所には屋台が並び、町はさらに賑わいました。
こうした流れの中で、屋台の蕎麦は夜鷹蕎麦と呼ばれるようになります。
夜鷹蕎麦の名称の由来は、夜鷹見物の場で売られたからだともされますが、別の説もあります。夜鷹の花代が十文で蕎麦一杯の値段も十文だったというものです。
どちらが正しいかは断定できませんし、いくら特定の組織に与しない夜鷹だからといっても、蕎麦一杯の値段で買えるというのはちょっと信じがたい話です。
とはいえ、夜鷹を買う値段はそれだけ安かったということでもあるのでしょう。
夜鷹蕎麦という名前には、庶民の生活感覚がそのまま言葉に反映されたのであり、それはとりもなおさず庶民と夜鷹の距離感の近さを象徴していたのかも知れません。

