『豊臣兄弟!』本能寺の変は“老い”が引き金だった?明智光秀を謀反へ追い込んだ「残り時間」という恐怖:3ページ目
人生の終盤を迎えた光秀が抱いた不安とは
光秀の誕生年が、1516年や1528年とすれば、本能寺の変の時の年齢は、すでに50代半ばから60代後半ということになります。
戦国時代の平均寿命は、30歳から40歳。もちろん、80歳以上まで長生きする人もいましたが、常に合戦の場に身を置いている武将たちには、そんな保証はどこにもなかったのです。とすると光秀は、すでに人生の終盤に差しかかっていた年齢だったといえるでしょう。
そして、その光秀の目の前には、天下統一に向かい着々と進む信長がおり、その後継者には信忠がいました。さらに周囲を見回せば、急速に出世していく秀吉がいたのです。
それにもかかわらず、1582年(天正10年)3月の武田勝頼滅亡後には、信長と光秀の間には何かしらの不協和音が漂っていました。
その現実を前にしたとき、光秀は何を思ったのでしょうか。もちろん、本能寺の変の理由を、光秀の年齢だけで説明することはできません。しかし光秀が老齢に差し掛かったことで、織田家中で生きていくことに非情な不安を抱えていたらどうでしょう。
戦国武将、特に大名として一族や家臣を抱えていた者にとっては、最終的になすべきことは「家を残すこと」でした。
信長や秀吉より年長だった光秀が、自らの残り時間と一族や家臣たちの未来を強く意識していたとしたら、それが本能寺の変に結びついたと考えても不思議はないでしょう。
信長の天下統一という大事業の蔭で、老境に達した光秀が抱いた焦りや不安。この視点から見直したとき、本能寺の変は従来とは違った側面をみせてくれるのです。
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※参考文献
磯田道史著 『豊臣兄弟 天下を取った処世術』文芸春秋




