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『豊臣兄弟!』本能寺の変は“老い”が引き金だった?明智光秀を謀反へ追い込んだ「残り時間」という恐怖

『豊臣兄弟!』本能寺の変は“老い”が引き金だった?明智光秀を謀反へ追い込んだ「残り時間」という恐怖:2ページ目

 
2026/06/25

光秀は本能寺の変の時、何歳だったのか

『豊臣兄弟!』では、光秀は、壮年期の武将として描かれているようです。

しかし、光秀の生年は定かではなく、本能寺の変の時点で何歳だったのかは諸説あります。しかし、信長や秀吉よりも年長であった可能性が高いのはほぼ間違いないでしょう。実はこの年齢差は、本能寺の変を考えるうえで重要な意味を持つのです。

戦国時代は全てではないにせよ、出自の低い者が成り上がっていく下剋上の世の中です。ですから戦国時代の人物には、生まれ年がはっきりしない人が多く、秀吉や秀長もその一人です。

光秀の出自は、よく言われているのが美濃守護職・土岐氏の分家で、斎藤道三の重臣明智氏の一族ということです。しかし、彼の前半生に関する確実な史料が乏しく、さまざまな異説が唱えられています。

そのような中で、光秀の誕生年には主に二つの説があるのです。

一つは、徳川家康の事績を中心に記された『当代記』によるもので、1516年(永正13年)生まれ、本能寺の変の時の年齢は67歳となります。もう一つは、『明智系図』で、1528年(享禄元年)生まれとされ、本能寺の変の時は55歳です。

このほかに、森家の家臣による『武家聞伝記(ぶけぶんでんき)』では、1513年(永正10年)の生まれ69歳ということになるのです。

このように光秀の誕生年は、はっきりとした史料が残っておらず、確かなことは分からないというのが現実です。とはいえ前述したとおり、信長や秀吉より年上であったことは、ほぼ間違いないでしょう。

ちなみに信長は、1534年(天文3年)生まれ、秀吉は確かではありませんが、1537年(天文6年)前後の生まれとされます。つまり、光秀は信長より5歳以上年上で、秀吉とでは10歳から20歳は年長である可能性が高いのです。

3ページ目 人生の終盤を迎えた光秀が抱いた不安とは

 

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