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朝ドラ『風、薫る』虎太郎(小林虎之介)が再登場!『立身出世』を夢見る明治社会の若者群の象徴か

朝ドラ『風、薫る』虎太郎(小林虎之介)が再登場!『立身出世』を夢見る明治社会の若者群の象徴か:3ページ目

「東京に出てきて勝負をかける」心意気

りんが看護学校を卒業し、トレインド・ナースとして病院勤務になるタイミングで現れた虎太郎。

以前とはがらりと変わり、スリーピーススーツに白いウィングカラーのシャツにネクタイ、ソフト帽というハイカラなスタイルで別人のようです。

銀座の製薬会社に勤め、給仕として働いているうちに社長に認められて今月から社員になった」とか。

どうして東京に?と問われ、

「故郷にいても100年前と変わらない。家族を支えていくには東京に出ないと。東京は努力した分だけ自分の力で上にあがれる。勝負するなら東京だ」と答えました。

なぜ製薬会社なのか?今のところ明確な理由はわかりません。

初対面のシマケンには「りんと同じ医療に関わる薬で世の中に役立つ仕事をしたいと思っています」と、煽り気味に答えていましたが。

コレラに罹患した母親を助けられなかった悔しさ、患者なのに差別をされる理不尽さは、ずっと心の中に残っていたのかもしれません。

『立身出世』を夢見る明治の若者の象徴・虎太郎

実際、江戸時代から日本橋本町界隈には薬種商が集まり「くすりの街」となっていました。昭明治初期にはまだ合成薬を作る技術はなく輸入薬頼みでした。

明治15年(1882)頃になると「西洋薬」を扱う店が急増したそうです。そして、政府は医薬品の国産化を目指し、翌年には日本初の製薬会社が官民共同で設立されました。

当初は、「製薬会社」というよりも薬舗・薬種商・製薬所という名称のところも多かったとか。明治22年(1889)、薬品営業並薬品取扱規則(薬律)が制定され、「薬局」や「薬剤師」などの名称が正式に定められ、現在の医療に近づく大きな一歩を踏み出したのでした。

ちょうど、大関和らが看護婦養成所を卒業した頃ですね。

この頃の製薬業は、近代化が一気に進んだいわば『最先端の産業』のひとつだったといわれています。

家柄で人生がほぼ決まっていた江戸時代と違い、貧しい家の出身でも、自分の能力や努力しだいで出世も可能になった明治社会は、多くの若者が『立身出世』を夢見て頑張った時代でした。

明治5年から順次刊行された福澤諭吉の『学問のすゝめ』に、影響された若者も多かったそうです。

自己責任で自分の道を選び努力次第で上を目指せる分、出世できないのは己の努力不足……そんな空気のある社会で、元足軽で貧乏な家の息子の自分が勝負をかける。

故郷から出てきてからの虎太郎は、「『立身出世』を夢見て頑張った明治時代を象徴する若者」がモデルなのかもしれません。

4ページ目 明治時代、銀座に製薬会社を設立した「資生堂」

 

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