石田三成が毒殺?改易から甲斐24万石へ復活した戦国武将・加藤光泰がたどった波乱万丈すぎる生涯【豊臣兄弟!】:4ページ目
大活躍するも三成に毒殺された?
果たして文禄2年(1593年)1月に明国の援軍が襲来しました。敵は大軍ですから、籠城策をとってこれを防ごうとする三成らに対して、光泰は出撃するよう主張します。
「立て籠もったところで補給や援軍が十分に見込めない以上、ただ摩耗していくばかりだ。ここは撃って出て、数に驕る敵を打ち破る他に活路はない」
光泰の意見に小早川隆景(山本浩司)や立花宗茂(たちばな むねしげ)も同意し、果敢に出撃していきました。
果たして光泰らは明国の大軍を撃退する戦果を上げ、首級3万8千余りを獲ったそうです。
かくして朝鮮半島でも勇名を馳せた光泰は、やがて和睦によって帰国の時を迎えました
西生浦(ウルサン)で事後処理をしていた光泰に、石田三成・増田長盛・大谷吉継ら3人が和解を申し出ます。
光泰はこれを快諾し、宮部長房(みやべ ながふさ。宮部継潤の嫡男)の陣中で和解の席を共にしました。これでわだかまりなく日本へ帰れる……そう思ったのも束の間、光泰はその日の内に体調を崩し、そのまま陣没してしまったのです。
そのため、人々は三成に鴆殺(ちんさつ。鴆毒による暗殺)されたのであろうと噂したのでした。
……遠江(光泰)勇敢不撓(ゆうかんふとう)の気を称すべし。しかれどもその言(げん)傲岸にして稜角(りょうかく)を露(あら)わす。故に衆怒に触れ、ついにその死を得ず……
【筆者意訳】光泰は勇敢で不屈の精神をもって称えられるべき豪傑である。しかしその言動は傲慢でトゲがあったため、人々のヘイトを集め、まっとうな死に場所を得られなかった。
これは『名将言行録』巻之三十二「加藤光泰」末尾に添えられた漢詩を、筆者が読み下し、現代語訳したものです。
終わりに
今回は秀吉に仕えて活躍した加藤光泰について、その生涯をたどってきました。
斎藤家滅亡で牢人→秀吉家臣として出世→調子に乗って改易→赦されて甲斐国主に→朝鮮征伐で武功→石田三成に暗殺?という、実に波乱万丈の人生を送ったようです。
果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、加藤光泰が登場するのでしょうか。もし登場するなら、キャスティングについても気になりますね。
豊臣家臣団には、他にも個性的な武将たちが揃っているので、また紹介できたら嬉しいです。
※参考文献:
- 『国史大辞典 3 か』吉川弘文館、1983年1月
- 岡谷繁実『名将言行録』岩波文庫、1943年12月
