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石田三成が毒殺?改易から甲斐24万石へ復活した戦国武将・加藤光泰がたどった波乱万丈すぎる生涯【豊臣兄弟!】

石田三成が毒殺?改易から甲斐24万石へ復活した戦国武将・加藤光泰がたどった波乱万丈すぎる生涯【豊臣兄弟!】:3ページ目

「砂を食っても耐え忍んでみせる!」

朝鮮における光泰の武辺ぶりは『名将言行録』に詳しく記され、人々の胸を熱くさせてきました。

ちなみに『名将言行録』は後世の著作であり、史料的な信憑性については今一つといったところです。しかし往時の人々が「光泰ならばやりかねない」と信じられ、伝えられてきた内容として、ここに紹介したいと思います。

李氏朝鮮へ渡海した光泰ら諸将が京城(ソウル)まで進撃した際、軍議の場でこのような意見が出ました。

「明国(みん)の援軍がやって来るので、一度釜山(プサン)まで撤退して、態勢を整えてから出直そう」

これを聞いた光泰は激昂して「明国の援軍が来るなど、とっくにわかっていたことではないか。今ここ(京城)を放棄すれば、敵に奪われてしまう」と反論します。

すると「そうは言っても、兵糧が続かんのだ」とのこと。確かに腹が減っては戦もできません。しかし、ここで引き下がる光泰ではありませんでした。

「もし兵糧がなければ、砂を食ってでも耐え忍んでみせる!」

光泰に呆れた石田三成(松本怜生)は「人間がどうやって砂を食えるというのだ」とたしなめますが、光泰は聞き入れません。

「もういい!引き揚げたくば勝手になされよ。それがし一人だけはここに踏みとどまり、万が一生きて帰れた際には、そなたらの腰抜けぶりをすべて殿下(秀吉)に報告してやる!」

そうまで言われてしまっては、他の者たちも京城に残らざるを得ませんでした。もちろん腰抜け呼ばわりされた石田三成・増田長盛(ました ながもり)・大谷吉隆(大谷吉継)らはこれを恨み、対立を深めたそうです。

4ページ目 大活躍するも三成に毒殺された?

 

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