『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…風に舞う桜吹雪が「大義であった」と労った天才軍師の最期を史実と共に考察:4ページ目
もっと豊臣兄弟や仲間と一緒に生きたかった
それからしばらくのち。三木城の秀吉の陣で病の床に臥した半兵衛は、戦局が難航していることを察知して「私が風向きを変えて見せまする」と戦局を見渡せる場所まで自分を運ばせます。
「風が変わりまする。」と半兵衛が言ったと同時に盛大に風が吹き桜の花びらが舞い散ります。
そこに宇喜多直家(緋田康人)が織田家に寝返ったと一報が。(これも半兵衛が生野銀山の銀を押さえたおかげ)
敵がどんどん引く様子をみて、抱き合って喜ぶ豊臣たちを眺めながら「死にとうないのぉ……まだ死にのとうない」「お前らのせいじゃぞ。」と呟く半兵衛。
孤独だったのに、豊臣兄弟と出会い、一緒にいろいろなものを見て、いろいろな場所に行き、語り明かしふざけ合い、まるで兄弟のように付き合った日々。
いつ死んでもいいと達観していたような半兵衛ですが、兄弟と出会い生きていくことはどれだけ楽しかったことでしょう。
仲の良かった蜂須賀正勝(高橋努)の、「おい起きんかっ!」の子供のような号泣には泣けました。
「そなたがふかせた風は決して無駄にはせぬ。」と秀吉。
桜が舞い散り半兵衛と豊臣軍を包み込む。きれいな場面でした。
「大義だった」と桜の花吹雪が労った最期
菅田さんは役作りのために減量し、髪の毛を伸ばし地毛で臨んだそうです。
皆に囲まれて眠るように亡くなった半兵衛は、「椅子に座ったまま亡くなった諸葛孔明を皆が囲み別れを惜しむ場面」の再現のようでした。
半兵衛が亡くなったのは天正7年6月13日(1579年7月6日)。「桜が咲いているわけない」という声もありますが、ドラマの桜の演出は、半兵衛との別れを飾るにふさわしい記憶に残る場面だったと思います。
信長の「大義だった」という言葉と同じ。
「風」に吹かれ髪に頬に身体に優しく舞い散る桜吹雪が「大義だったね」と半兵衛を労っている……そんな思いを込めた、ドラマからの別れの演出だった気がします。
そして、さまざまな表情を細かい演技で魅了してくれた菅田半兵衛への、最大級の「はなむけ」だったとも。見事でした。
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参考:館林藩士・岡谷繁実『名将言行録』


