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朝ドラ『風、薫る』別れの時へ…バーンズ先生が残した名言と軌跡━━実在モデルが日本に残した偉業

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鈴木雅を自分の後継者に考えていたアグネス・ヴェッチ

ドラマでは、梅丘看護養成所で梶原敏子校長(演:伊勢志摩/モデルは矢嶋楫子)が「養成所は閉所することになった」と皆に伝えました。

「この時代、『看護』というものを知らなかったのは、帝都医科大附属病院の医師も一緒だったのでは?学生の皆さんが優秀だったのを見て『学校内でも育てよう』となったのではないか。それは誇らしいことです」と言います。

梶原校長の言葉は素敵なのですが、やはり病院側に約束を反故にされたのは無念だったのではないでしょうか。

原案小説によると……

実際、6人の看護学生(ひとりは退校)、明治21年(1888)10月26日に梅丘看護養成所のモデルである桜井女学校附属看護婦養成所を卒業。この年は、慈恵看護婦養成所や京都看護婦養成学校でも最初の卒業生を輩出しているので「日本におけるトレインド・ナース誕生年」でした

卒業式では、学生一人一人に修了証が手渡されました。大家直美(演:上坂樹里/モデルは鈴木雅)の修了証にはアグネス・ヴェッチの直筆で、「I consider her give to fitted to teach a class of nurse.(彼女が看護学を教えるのにふさわしい人物であることを認めます)」と書いてあったそうです。

鈴木雅は明治9年(1876)から1年ほど横浜のフェリス・セミナリー(現在のフェリス女学院)で英語を学んでいます。ヴェッチは、そんな雅の英語力、指導力、人間力などに一目置いていて、自分の後継者となると考えていたとか。

実際は、東大病院は、卒業後に大関和は外科、鈴木雅は内科の看病婦取締として・迎え入れたのでした。

そして、日本政府に「お雇い外国人」として招聘されていたアグネス・ヴェッチの任期は1年間だったため、明治21年(1888)11月に任期満了となり日本を離れました。

3ページ目 昭憲皇太后を感動させたアグネス・ヴェッチの看護

 

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