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【豊臣兄弟!】市川團子が演じる信長最愛の小姓…18歳で討死した美少年・森乱(森蘭丸)の短すぎた人生

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ただの美少年ではなく有能な家臣だった森乱

「團子さんの森乱楽しみ」「所作が異様にきれいそう!」「森乱がでてくるということはそろそろ本能寺が近い」などと、SNSがざわついた森乱の公式登場。

そんな森乱は、永禄8年(1565)に信長の家臣、森可成(もりよしなり)の三男として美濃国(現在の岐阜県)金山に誕生。天正10年(1582)、わずか17〜18歳という若さでその生涯を終えました。

森乱が誕生した頃は、信長が今川義元に勝ち武将としてその名を上げ始めた頃。息子も父と同様に信長に仕えることとなりました。

一般的にお馴染みの「蘭丸」は幼い頃の名前で、本名は「成利」(長定という説も)。

わずか15歳で、信長の身辺にて諸々の雑用を請け負う小姓として仕え始めたのですが、もともと才覚がある少年で、『信長公記』によると天正7年(1579)頃から、奏者(主君が、家臣に褒賞を与えるときの取り次ぎを行う役目)として重用されていたそうです。

※小姓とは?

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まだ若いながらも、才能豊かな家臣として頼りにされていたと伝わります。

美濃国岩村5万石を与えられた森乱

天正10年(1582)3月、信長は竹田氏の諸城を次々と攻め落として武田信玄の4男として生まれ、信玄拍子後に家督を相続して20代当主となった武田勝頼を自害に追い込みました。

勝頼が亡くなり武田氏は滅亡。信長は、旧武田領を分割し、美濃国岩村5万石を森乱に与えたのでした。

その後、同年6月、信長は毛利氏と戦っていた秀吉からの援軍要請を受け、その道中で京都の本能寺に宿泊しました。この時、本能寺には森乱のほかに、信長が招いた客人や使用人なども複数いたと伝わります。

本能寺に宿泊した晩、外の騒々しさに目を覚ますと、大量の軍勢が本能寺を取り囲んでいました。森乱は、明智光秀が謀反を起こしたということを大急ぎで信長に伝え、信長を守るために必死に戦いました。

『信長公記』による描写では…

明智軍が本能寺の周りを取り巻いたときに、最初は中間らの喧嘩かなにかの騒ぎだと思った小姓ら。ところが鬨の声をあげた兵が境内になだれ込み、鉄炮が撃ち込まれた。

「これは謀反か。如何なる者の企てぞ」と信長がいうと「明智が者と見え申し候」と答える森乱。

「是非に及ばず」と。信長

というやり取りがあったことが記されています。森乱は信長とともに、18年という短い生涯に幕を閉じたのでした。

3ページ目 さまざまな逸話が残る森乱

 

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