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『豊臣兄弟!』夫は囚われ、幼い息子は処刑命令…黒田官兵衛(倉悠貴)を支えた正室・櫛橋光、波乱の生涯

『豊臣兄弟!』夫は囚われ、幼い息子は処刑命令…黒田官兵衛(倉悠貴)を支えた正室・櫛橋光、波乱の生涯:3ページ目

夫と二人の息子に先立たれる

時は慶長2年(1597年)7月16日、次男の黒田熊之助が無断で朝鮮への渡海を試み、嵐に遭って遭難死してしまったのです。

享年16歳、兄の黒田長政と共に第二次朝鮮出兵(慶長の役)に従軍できなかったことを嘆いて、抜け駆けの武功を図ろうとしたのでした。

この時に同船していた加藤吉松(かとう よしまつ)・木村紹宅(きむら じょうたく)・母里吉太夫(もり よしだゆう)ら3名も共に溺死してしまったと言います。光は熊之助の死を深く悲しみ、丁重に菩提を弔ったことでしょう。

ちなみに夫の官兵衛や嫡男の長政は洗礼を受けてキリシタンに改宗しますが、光だけは浄土宗の信仰に厚かったことから、家族たちとは信仰を別にしたといいます。

慶長3年(1598年)に秀吉が世を去って豊臣政権が揺らぎ、石田三成(松本怜生)と徳川家康(松下洸平)が政権を二分する抗争を繰り広げると、三成は大名たちの妻子を人質にとろうと図りました。

光や栄姫(えいひめ。ねね姫、長政室)は黒田家臣の栗山利安(くりやま としやす)・宮崎重昌(みやざき しげまさ)・母里友信(もり とものぶ)らによって救出され、三成の魔手を逃れたのです。

慶長9年(1604年)3月20日に夫の官兵衛が先だったため、出家して夫の菩提を弔いました。嫡男の長政も元和9年(1623年)8月4日に先だってしまい、孫である黒田忠之(ただゆき)の成長を見守ったことでしょう。

そして寛永4年(1627年)8月26日に75歳で世を去りました。戒名は照福院殿然誉浩栄大尼公(しょうふくいんでん ぜんよこうえい だいにこう)。墓所は京都の報土寺(京都市上京区)・福岡の崇福寺(福岡市博多区)と圓應寺(福岡市中央区)に祀られ、今も人々を見守っています。

終わりに

今回は黒田官兵衛の正室・櫛橋光について、その生涯をたどってきました。

果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」には登場するのか、あるいは割愛されてしまうのでしょうか。

そして登場するなら、誰がキャスティングされるのかも注目です!皆さんなら、どう予想しますか?

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※参考文献:

  • 播磨学研究所 編『稀代の軍師黒田官兵衛』神戸新聞総合出版センター、2008年4月
  • 『別冊歴史読本01 黒田官兵衛歴史読本』角川書店、2013年12月
 

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