朝ドラ【風、薫る】史実ではりんの妹と結婚…槇村宗一(上杉柊平)のモデルとされる川原健二郎の実像:4ページ目
釛は実子以外にも甥も育てる
史実では、川原健次郎と大関釛が結婚した明治17年(1884)は、まだ、和が看護婦養成所に入学する前。結婚前の釛は姉と一緒に東京に住んでいたため、結婚に際して生まれ故郷の栃木県に戻ることになりました。
2人が結婚したのち、夫婦には諭と博巳という2人の男の子が誕生しました。実は、釛が育てたのは長男・諭と次男・博巳だけではありません。
兄・大関復彦の遺児で甥にあたる、大関増博の養育にあたり、旧制中学だった烏山中学(のちの栃木県立烏山高等学校)に進学させたのです。
復彦は、父が家老職を辞めた後に家出をして行方不明になり、結核を患って貧民街の長屋に住んでいたところ偶然見つかり、姉や母たちと再会後に病院で亡くなり、ました。
釛が兄の子を養育した背景には、和の「一族の人間は誰も見捨てない」という名族意識から来る強い意向があったといわれています。
川原健次郎は、1909(明治42)年に死去。死因やどのような結婚生活だったのかなどの資料は残っていないようです。3年後の大正2年(1912)に釛は、次男の博巳を東京専門学校(現在の早稲田大学)英文科に入学させるため上京して、再び和と同居生活を始めました。
その頃、和は、鈴木雅(大関直美(上坂樹里)のモデル)が設立した東京看護婦会を引き継いでいましたが、それに代わってキリスト教主義の『大関看護婦会』を設立しています。
そして、釛の次男・博巳は和の弟子・鹿内貞と結ばれました。川原貞は昭和4年(1929)に大関看護婦会を継承します。つまり、川原健次郎と大関釛の結婚によって生まれた息子が、和の後継者と結ばれ、和が育ててきた「看護理念を次世代へ橋渡しする」ことになったというドラマがあるのです。
もし釛が別の人のもとに嫁いでいれば、この継承はなかったかも知れません。
「大関看護婦会」は、少数精鋭の優秀な看護婦を揃えました。その半数が和が理事を務めた女性の自立施設「慈愛館」の出身者だったそう。かつて遊郭の娼妓や女郎だった女性たちが「慈愛館」を経由して看護婦となったのです。
釛は、そんな偉業を次々と成し遂げていく姉の和を支え続けました。
最後に…
ドラマでは、妹と母と娘が住む「瑞穂屋」は、りんの故郷であり、激務の中唯一「味方ばかり」がいる心の拠り所。そんな場所を常に居心地のいい状態に整えてくれている妹の安。今後、槇村宗一と一ノ瀬安の恋愛と結婚は、どのように進展し描かれていくのでしょうか。
一見、アナザーストーリーの主人公のように見えて、実は「日本のナイチンゲール」として偉大な功績を残した姉を支え続けた安の人生も見守りたいですね。
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参考:朝ドラ「風、薫る」原案 明治のナイチンゲール 大関和物語 田中ひかる


