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死んだはずの男が13回忌に帰還!江戸時代、無人島で13年生き延びた漂流民・野村長平の奇跡

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鳥島での過酷なサバイバル生活

鳥島は孤島であり、無人島(現在も人は住んでいません)で、水も無く、草木も無く、小動物もいない火山島。非常に過酷な状況の島ですが、長平らが漂着した際は船に乗っていた12名全員が生きていたという説もあれば、長平を含めて4人だけだったという説もあります。

そして、漂着後2年(10年という説も)ほどのうちに他の人も亡くなり、長平一人だけが残されました。他の船員の死因については、衰弱死または食べ物が合わなかったことなどが考えられています。

長平は、主食として大鳥(アホウドリ:島に大量生息)の肉や卵を食べていたようです。食べ終わった卵は、殻も無駄にせずそこに雨水を貯めていました。

また、服についても、主食としていた「大鳥(アホウドリ)」の皮と羽毛を使っていたと言われています。なお、羽毛は寝具にも転用していました。

鳥島からの脱出と奇跡的な帰還

長平の無人島生活は、最終的になんと約13年にも及びました。彼が漂着してから数年後、大阪船、薩摩船の船乗りたちも島に漂着。島には十数名の集団が形成され、協力しあっていました。そして、脱出の計画も立て始めます。

まずは島にあるもの、流れ着いた材木などを利用し、小型船を作ります。造船には大きな苦労が伴いましたが、寛政9年(1797年)、ついに完成。船に乗り込んで島を出発し、なんとか八丈島に到達し、そこから江戸へ送還されることになりました。

長平は寛政10年(1798年)1月19日に土佐へ帰還しましたが、この時ちょうど地元では長平の13回忌が営まれていたといいます。そして、上記のとおり、土佐藩から野村姓をたまわりました。

その後は、結婚し子宝にも恵まれ、60年で亡くなりました。帰還後につけられた「無人島長平」のあだ名は、彼の墓石にも刻まれています。

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