【豊臣兄弟!】なぜ秀吉は無断撤退?その後どうなる?史実だった柴田勝家との喧嘩・信長激怒事件の結末:2ページ目
一体なぜ?すぐに謹慎を解かれた秀吉
……どうもなりませんでした。
信長は秀吉に謹慎を命じたものの間もなく解除され、二度目の謀叛を起こした松永久秀(竹中直人)の討伐に出陣しています。
その後も天正5年(1577年)の内に中国攻めへと出陣しており、軍令違反の戦線離脱はうやむやにされたのでした。
そもそもなぜ秀吉が勝家と喧嘩し、任務放棄までしてしまったのか?当時の史料に詳しい事情を記したものはありません。
『武功夜話』によると、勝家が秀吉に武功を立てさせまいと後陣に回したことが不満だったからとか、松永久秀の不穏な動きを察知して退却を進言したのに聞き入れられなかったから……などと言われています。
しかしこれは後知恵であり、戦場において後陣を支えるのも重要な任務ですし、まして北陸にいた秀吉だけが畿内の正確な情報をキャッチできたというのも現実的ではありません。
とは言え他に秀吉が任務放棄した理由について詳しく記したものはなく、いまだ謎のままとなっているようです。
いっぽう勝家たちは七尾城が陥落したことを知って撤退したものの、浮足立ったところを上杉謙信に突かれ、鯰江貞利(なまずえ さだとし)はじめ死傷者1千余、増水していた手取川で多数の溺死者を出してしまいました。
時に天正5年(1577年)9月23日、これが後世に伝わる手取川の合戦です。この惨敗をあざ笑って、こんな落首が詠まれたと言います。
上杉に 逢うては織田も 手取川 はねる謙信 逃げるとぶ長(信長)
【意訳】上杉の武威を前にしては、さすがの織田も赤子の手をとるように負けてしまった。謙信がはねるように攻めかかると、信長は飛ぶように逃げ帰って行った。
信長は出陣していませんでしたが、人々は「あの信長が飛んで逃げ帰る」光景を思い浮かべて、留飲を下げたことでしょう。
今回は秀吉の三大危機(諸説あり)に数えられる信長の逆鱗について紹介してきました。一歩間違えば切腹だってあり得た窮地を、秀吉がどうやって乗り切ったのかは未だに謎のままです。
果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、秀吉はどのように戦列復帰するのでしょうか。次回第19回「本物の平蜘蛛」で描かれることでしょう。
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※参考文献:
- 中川太古 訳『現代語訳 信長公記』中経新人物文庫〉、2013年10月
- 乃至政彦『謙信×信長 手取川の真実』PHP新書、2023年5月


