朝ドラ「風、薫る」尊王攘夷の志士が国際結婚…千佳子の夫・和泉元彦のモデルとされる三宮義胤の生涯:2ページ目
外国への赴任で、生涯の伴侶となる三宮八重野と出会う
かつて攘夷派であった義胤ですが、外国での活動はその後の人生を決定づけました。
明治3(1870)年10月、義胤は東伏見宮嘉彰親王の英国留学に随行。近代国家の一員として、早くから海外経験を積んでいます。
英国滞在中、義胤はアレシーア・レイノア(日本名:三宮八重野)という英国人女性と出会って結婚。明治7(1874)年のことでした。
かつて外国を忌み嫌っていた攘夷派であった義胤が、外国に駐在し、外国人女性と結婚したことになります。
当時の日本において、国際結婚はまだ珍しいものでした。とくに政府高官や宮中に関わる人物の結婚となれば、周囲の目も厳しかったはずです。
義胤の結婚は、個人の選択であると同時に、明治日本が西洋とどのように向き合うかを象徴する出来事でもありました。
明治10(1877)年、義胤は外務省に移り、2等書記官としてドイツ公使館に勤務しました。
明治13(1880)年には日本に帰国。翌明治14(1881)年の英国両皇孫来日時には、外務省権少書記官として東伏見宮嘉彰親王やアーネスト・サトウらとともに、接遇に関わりました。
明治16(1883)年には外務省から宮内省へ移動。外交の現場を知る人物として、宮中と外国との接点を支える役割を担うことになったのです。
義胤は、宮内省で大書記官などを経て、明治28(1895)年に式部長を拝命。宮中儀礼や内外の賓客対応に関わる立場となりました。
幕末に志士として奔走した青年が、明治国家の宮中儀礼を支える立場に至ったことは、時代の変化をよく物語っています。
一方で、義胤の妻八重野は明治日本の上流社会で西洋式の服装や社交の知識を伝える存在となりました。朝ドラ「風、薫る」に登場する和泉千佳子は、この三宮八重野をモデルにしていると紹介されることが多く、ドラマでは史実をもとにしつつ、日本人の侯爵夫人として脚色されています。
朝ドラ【風、薫る】りんが向き合う“気高き患者”…和泉千佳子(仲間由紀恵)の実在モデル・三宮八重野の実像
明治21(1888)年、八重野は乳がんに罹患。帝国大学医科大学第一医院において手術を受けたとされます。
このとき看護に関わったのが、のちに大関和でした。
ドラマの一ノ瀬りんと和泉千佳子の関係には、この史実が反映されていると考えられます。ただし、義胤が病床の妻にどのような言葉をかけたのか、その詳しい記録は確認しにくいものです。
しかし確かなことがあります。
その後、八重野は慈善活動に邁進し、義胤自身も明治23(1890)年に日本赤十字社特別社員証を授与されるなどしています。
このときの大関和との関わりが、彼らのその後の行動に影響を与え、日本の慈善活動に寄与したと考えられます。

