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朝ドラ【風、薫る】“古い看病婦”ではなかった!現場の師として看護を支えた永田フユのモデル・吉村セイの実像

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低い評価にもめげず、医療現場で縁の下の力持ちに徹する

当時、看病婦という職業の評価は高くありませんでした。

大関和が学んだ時代には、看病婦は「病人の小使」のように見られ、十分な知識も教育もない存在と考えられがちでだったようです。

ところが、セイの姿はそうした先入観を揺さぶるものでした。

彼女は手術の場で、医師に器械を的確なタイミングで渡す「器械出し」に優れていたとされます。単なる雑用係ではなく、手術の流れを読み、医師の動きに合わせて補助できる人だったのです。

セイ自身は、教科書の言葉で看護を語った人ではありません。患者の様子、医師の動作、器具の扱い、緊急時の判断を、身体で覚えていた人でした。

大関和たちのような若い見習い看護婦にとって、吉村セイは「古い看病婦」ではなく、現場を知る師でもありました。

引退を間近に控えたセイは、医療器具の扱いや応急処置など、自らが体得した看護術を後進に伝えたとされています。

また、セイは広瀬梅工藤トメのモデル)から母のように慕われたとも紹介されています。
広瀬は桜井看護学校の一期生の一人とされる人物で、後に婦人矯風会などとの関わりでも語られます。つまり吉村セイは、近代看護の制度史の中心に名前が大きく出る人物ではありませんが、若い看護婦たちの実地教育を支えた現場の先輩であり師だったといえます。

セイの晩年について、詳しい年譜は確認できません。

伝記的小説『明治のナイチンゲール 大関和物語』に登場し、後輩たちに仕事を伝えたのち、多くの見送りを受け、わずかな荷物だけを持って故郷へ帰る姿が描かれていると紹介されています。

セイの生涯は、明治の看護史における「名もなき実践者」の歩みでした。

大関和や鈴木雅が近代看護の制度を切り開いた人びとだとすれば、吉村セイはその足元で、病院現場の知恵を次代へ手渡した人です。

学校教育を受けた看護婦と、経験で鍛えられた看病婦。その二つが出会い、互いに学び合ったところに、日本の近代看護の現実的な始まりがありました。

吉村セイは、まさにその接点に立っていた女性だったのです。

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