映画『国宝』の舞台・上方歌舞伎とは?大阪松竹座存続の裏で問われる未来:2ページ目
大阪松竹座の行く末、上方歌舞伎の行く末
長く上方歌舞伎の拠点であり道頓堀の歌舞伎文化を守ってきた大阪松竹座が、今年の5月末で閉場する。
いや、「守ってきた」のではない、「踏みとどまっていた」が正しいか。
大正12(1923)年に、日本初の鉄筋コンクリート造りの洋式劇場として道頓堀に建設された大阪松竹座は、当初は「松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)」の公演や映画館として運用が主軸だった。
その後平成9(1997)年に2月に新築開場して以降は、歌舞伎をはじめ新劇、松竹新喜劇などの舞台芸術専用劇場として今日に至っている。
「道頓堀五座」無き後、そして戦後の混乱期を経て、道頓堀の歌舞伎文化の「牙城」となっていた松竹座。しかし建物の老朽化などにより、この5月の歌舞伎の公演を最後に閉館すると発表されていた。
大阪から、道頓堀から芝居の「灯」が消えるかもしれない…上方歌舞伎はどこへ行くのか…
「舞台があればどこでも公演できる」と言われれば、それまで。しかし歌舞伎は花道も必要であるし、BGMたる歌舞伎下座音楽を演奏する場所である黒御簾も必要である。だからこそ専用舞台の存在が重要なのである。
これからの暗澹たる行く末への不安が募る中、近づく閉場のタイムリミット…
そこに突然、大阪松竹座や大阪市は「形を変えて松竹座を存続させる」方針を決めた、という一報が入る。
参考記事:【速報】5月閉館から一転 大阪松竹座が“形を変えて”存続する方針へ
折しも前日、この4月からはじまる、現・松竹座最後の歌舞伎興行「さよなら公演」の開幕に向けて、「大阪松竹座 御名残道頓堀お練り」と銘打って、出演俳優たちが道頓堀を人力車で巡った。
たくさんの人が出演俳優の道頓堀入りに歓声を上げたこの場で、十五代目片岡仁左衛門は「御名残公演というのは、お休み公演でございます。必ず道頓堀に小屋が建つと思います」と口にした。
この仁左衛門さんの言葉の背景には、すでに水面下で松竹座存続への動きが進んでいた、との報道も追って出ている。
参考記事:「大阪松竹座、2か月前の土壇場で閉館から一転して存続へ 片岡仁左衛門らが閉館反対を表明していた – スポーツ報知」
大阪府・大阪市、そして仁左衛門さんをはじめとする上方歌舞伎の俳優たちの熱意に、松竹が答えたかたちである。