【豊臣兄弟!】謎多き軍師・竹中半兵衛(菅田将暉)の素顔!史料『武功夜話』が伝えるリアルな人物像:2ページ目
『武功夜話』とはどのような史料なのか
『武功夜話』は、尾張の前野家(前野将右衛門の末裔)に伝わったとされる軍記物語で、織田信長から豊臣秀吉の時代にかけての出来事を描いた書物です。この書物は、愛知県江南市の吉田家(旧前野家)に伝わった家伝記であり、その内容は信長や秀吉に仕えた前野家一族の古記録とされています。
同書には、豊臣秀吉やその弟・秀長をはじめ、蜂須賀小六や前野将右衛門など、後に秀吉を支える武士たちの姿が数多く記されています。
もっとも、この書物については史料としての評価をめぐり長く議論が続いてきました。近年まで「後世に作られた偽書ではないか」とする見方も強かったのです。
しかし一方で、秀吉周辺の人物、とりわけ羽柴一族の初期の活動を伝える史料が極めて少ないことから、『武功夜話』を完全に否定するのではなく、参考史料として注目する研究者も多くいます。
つまり同書は、荒唐無稽な部分も少なくないものの、信長や秀吉に関する一次史料の空白を補う参考史料として一定の価値を持つと見る研究者も現れているのです。
筆者もまた、秀吉や秀長に関する確かな史料が少ないことを考えると、『武功夜話』は彼らの活動を考えるうえで参考史料としてもっと活用されるべきではないかと考えています。
実際、秀吉が一次史料に初めて登場するのは、1565年(永禄8年)11月のことです。織田信長が松倉城主・坪内利定に知行を安堵した書状に「木下藤吉郎秀吉」として副署したのが、その初見となります。これは、秀吉が信長に仕官したと考えられる時期から約11年後、29歳の時の出来事でした。
また、秀長が史料に初めて登場するのはさらに遅く、1574年(天正2年)7月の『信長公記』で、信長の馬廻衆の一人として記されています。このとき秀長は、35歳になっていました。
このように、豊臣兄弟の10代から20代については、本当に確かな史料が不足しているのです。
