織田信長の本当の強さは軍事だけじゃない!戦国時代、全国規模の枡統一と精密検地で不公平を正した改革力:2ページ目
隠田をあぶり出せ!
さらに信長は枡の統一に加えて、大規模な検地を行いました。
検地とは、農地の広さや地力を調べ、収穫量を推定し、年貢の基準を決める作業です。現代で言えば、領内の固定資産台帳をつくるようなものです。
「検地は豊臣秀吉がやったんじゃないの?」と思われるかも知れません。確かに有名なのは豊臣秀吉の太閤検地ですが、信長はその前に同様の検地を行っており、秀吉は偉大な先輩の方式を踏襲したと考えられています。
戦国時代、農民は隠田を持つことが少なくありませんでした。また検地は一揆の原因にもなるため、多くの大名は実施をためらっていました。
仮に検地をするとしても、農民が自分で測った数字を申告する差出検地が一般的で、実測はほとんど行われていなかったのです。
歴史上、農民は弱い立場だったとイメージされがちですが、実は有力大名たちも検地によって刺激するような迂闊なことはできませんでした。農民は意外と力を持っていたのです。
しかし信長は、強い統治力と領民との信頼関係を背景に、縄入れ(実測)による精密な検地を実行しました。
天正五年の越前検地では「歩」単位まで記録されており、これが農民の自己申告ではなく実測であることが分かります。
これは信長以前の大名には見られない精度でした。こうして彼は隠田をあぶり出し、年貢の基準を公平にし、領内の税体系を安定させたのです。
