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本能寺の変、原因は“金”だった?信長も直面した「資金繰り悪化」と天下取りの転落ルート

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莫大な必要資金

しかし、信長の政策は諸刃の剣でした。

彼が天下統一を目指す過程で、必要となる資金は急速に膨れ上がっていきます。

永禄十一年、信長は足利義昭を奉じて上洛しますが、その費用だけで2万貫、現代換算で数十億円規模を使い切ったとされます。

さらに彼は天皇家や朝廷に多額の献金を行い、政治的な地位を固めようとしました。正親町天皇の皇子・誠仁親王の元服費用として献上した金額は300貫、現代の価値で約6,000万円に相当します。

しかし、この献金に使われたのは価値の低い悪銭でした。商人が受け取りを拒否するほどの代物で、実際にはこの時点で信長の財政が逼迫していたことがわかります。

そこで信長は資金を補うため、寺社や商業都市からの強制徴収に踏み切っています。例えば法隆寺からは1,000貫(約2億円)、石山本願寺からは5,000貫(約10億円)、堺から「矢銭(軍資金)」として2万貫(約4億円)といったあんばいです。

ちなみに、商業都市である尼崎からも徴収しようとしていますが、拒否された際には焼き討ちにしたという記録も残っています。

庶民には優しい一方、富裕層には容赦なく搾り取るというのが信長流の資金調達でした。特に寺社仏閣に対する冷淡な態度は極端なほどで、戦国大名で寺社に寄進するケースはあってもここまで露骨に取り立てた人はちょっといません。

しかも、それでも天下取りに必要な資金は足りませんでした。信長は永禄十二年に七か条の法令を発布し、金貨より銀貨のレートを高くするという、現代でいえばインサイダー取引に近い政策を行っています。

さらに生野銀山を武力で奪取しましたが、利益が出るまでには時間がかかり、信長の焦りは募るばかりでした。

3ページ目 「本能寺の変」の原因は“金”?

 

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