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鎌倉武士は“脱税集団”だった?源頼朝が見抜いた朝廷支配のほころび〜鎌倉幕府の誕生

鎌倉武士は“脱税集団”だった?源頼朝が見抜いた朝廷支配のほころび〜鎌倉幕府の誕生:3ページ目

幕府誕生=構造の変化

そうなるとひとつの疑問が浮上します。なぜ、老獪な後白河上皇は頼朝にこれほどまでの大幅な権限を与えてしまったのでしょうか。

その背景には、平氏への強い警戒心がありました。

上皇はかつて平清盛に幽閉された過去があり、これ以上平氏をのさばらせてはならないという一心で、頼朝への譲歩を重ねたのです。

一方の頼朝は、上皇のこうした焦りや弱みを最大限に利用し、朝廷の権限を一枚ずつ剥ぎ取るように武家へと移し替えていったのです。

こうして、もとは脱税によって独立化した在地領主の集団が、ついに武家政権の中核へと変貌を遂げました。

鎌倉武士は、決して単なる武力集団ではなく、国家の税制のほころびから生まれた時代の落とし子でした。源頼朝はそのほころびを見抜き、「中央の言いなりになりたくない」という武家の悲願を巧みに吸い上げたのです。

鎌倉幕府の誕生は、社会・権力・経済のそれぞれの構造の巨大な変化の結果だったといえるでしょう。

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参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年

 

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