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『豊臣兄弟!』信長は何を恐れた?清洲を離れ小牧山城へ移った理由と「ある武将」の存在

『豊臣兄弟!』信長は何を恐れた?清洲を離れ小牧山城へ移った理由と「ある武将」の存在:3ページ目

斎藤方の手強さを痛感していた信長

小牧山城は、円形を意識した革新的な縄張りと、計画的に整えられた城下町を併せ持つ、まさに信長の「新たな本拠地」構想を象徴する存在でした。そこには、美濃攻略を一時の戦いではなく、腰を据えて取り組む長期戦として見据えた、信長の覚悟と戦略が色濃く表れています。

1563年(永禄6年)、小牧山城へと本拠を移した時点で、信長の胸中には「美濃は容易には落ちない。だからこそ、じっくりと攻め取る」という思いがあったのです。

『豊臣兄弟!』第5話では、小牧山城での午前試合の後、鵜沼城主・大沢次郎左衛門(演:松尾諭)と秀吉・小一郎との間で、緊迫した空気の中、寝返りをめぐる交渉が描かれます。

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信長は、犬山城を落とした前後に丹羽長秀(演:池田鉄洋)へ命じ、鵜沼城から北東に約14キロメートル離れた加治田城主・佐藤右近右衛門の調略を進めていました。

その後、約半年をかけて加治田城、鵜沼城、猿啄城(さるばみじょう)、堂洞城(どうぼらじょう)など、木曽川沿いに点在する斎藤方の城郭を次々と攻略していきます。

ところが、堂洞城を落としたその日、龍興が自ら三千の兵を率いて来襲。信長は鵜沼城に秀吉軍を残し、小牧山城へと退くことになります。斎藤氏の本拠・稲葉山城に迫りながらも、決して無理に押し切らなかったのは、やはり斎藤方の手強さを強く感じていたからでしょう。

そして、美濃をそこまでの強敵と意識させた背景には、龍興の父・義龍の存在が大きく影を落としていたと考えられます。

義龍が信長に与えた強烈な印象は、その死後もなお、信長の胸に深く刻まれ続けていたのでしょう。

その義龍については、信長にとって真の強敵であった理由に焦点を当て、別稿にてアナザーストーリーとして人物像や戦いぶりを掘り下げていきたいと思います。

 

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