【豊臣兄弟!】秀吉の草履エピソード、実は『べらぼう』時代に誕生。歌麿も影響された「絵本太閤記」の創作だった:3ページ目
『絵本太閤記』に魅せられた天才・喜多川歌麿
『絵本太閤記』に魅せられたのが、喜多川歌麿でした。1804年(文化元年)に、朝鮮出兵時の加藤清正が、異国情緒あふれる装いの女性の舞を見つつ宴に興じる様子を描いた作品や、柴田勝家が出陣する様子を描いた作品などを発表しています。
その清正の宴の作品は、幕府に“戦国武将を滑稽に描き、かつエロな内容だ!”と捉えられたそう。さらに、歌麿は、同年、豊臣秀吉が醍醐の花見を楽しんでいる、大判三枚連続の『太閤五妻洛東遊観之図』(たいこうごさいらくとうゆうかんのず)も発表しました。
しかしながら、秀吉や北政所、淀殿などが花見酒にふけって宴に興じている様子が、当時の“将軍・徳川家斉を批判している”と幕府に捉えられて歌麿は手鎖50日の処罰を下されてしまいます。
これをきっかけに「書をもって世に抗う」歌麿の反骨精神はトーンダウンし、絵筆も冴えなくなっていったといわれています。
もし、この時代に蔦重が生きていたら。歌麿の才能とチーム蔦重の力で、実は「勇猛果敢に戦った戦国武将たちも、こんな一面があった」な滑稽本を作ったかもなどと、また妄想してしまうのでした。
忠義の草履の大元は酒井忠勝か
“草履を温めた忠義者”エピソードの大元は、第三代将軍・徳川家光の側近で、若狭小浜藩の初代藩主・酒井忠勝の話だといわれています。
ある寒い夜に、夜遊びをする家光の警護にあたっていた忠勝が、冷たかろうと家光の草履を懐で温めていたというもの。それに気がついた家光は、内緒で夜に出歩くのをやめたという内容です。
この話は、『絵本太閤記』の30年前、明和2年(1765)に出版された『酒井空印言行録(仰景録)』に記されたそうで、『絵本太閤記』の手柄話は、これを元に描かれたと推測されています。
それがいつの間にか、「主君への忠義心」や「細かい気配り」のできる男・秀吉の手柄逸話となり、一般的に「出世をするにはそれくらいの気遣いが必要!」な道徳エピソードになっているのが興味深いですね。
大河「豊臣兄弟!」では、このエピソードは、秀長の気象予報士なみの知識と機転を描いていて、さらに“秀吉爆誕”につながるという、古くからの道徳エピソードをひっくり返すような斬新なストーリーに……。
この先、またどのような新しい解釈で刷新しつつ、兄弟の物語が繰り広げられるのか、楽しみです。
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