【豊臣兄弟!】秀吉の草履エピソード、実は『べらぼう』時代に誕生。歌麿も影響された「絵本太閤記」の創作だった:2ページ目
立身出世ではなく勝利をもたらす神となった“草履”
3話での“草履”話は、のちに史実でも冷静で理知的な優れた天下人の補佐役となる秀長を思わせるエピソードだけでは終わりませんでした。
「トンビが低空を待っているときは雨が降る」という小一郎の言葉を覚えていた信長が、それを桶狭間の戦いに活用します。
雨が、兵の足音を消し、前もって鉄砲が雨で濡れないようにするなど、事前に準備でき勝利を招いたことを「小一郎の大きな手柄」と評価する信長。
実際に「なぜ、桶狭間の戦いに織田は勝てたのか」にはさまざまな説がありますが、このドラマでは、小一郎(秀長)の機転や判断力により勝利をもたらしたという展開になっています。
さらに、桶狭間の勝利の褒美に「銭がいい!」と明るく答える小一郎に、草履を片方ずつ兄弟に分けて与えて、「草履は片方だけでは何の役にも立たん。互いに大事にせい」と、毛利元就の「三本の矢の訓え」のようなセリフが出て、“豊臣兄弟の結束が強まる”という展開。
そんな信長の弟とはうまくいかなかったダークな回想も挟み込み、いろいろ詰め込まれていましたが上手い流れだったなと。
秀吉の“草履”エピソードは「べらぼう」の時代に誕生
今回、重要な役割を果たした“草履”ですが、冒頭で触れたように、“秀吉が懐で温めた忠義話”を史実だと裏付ける資料は存在していないそう。
豊臣秀吉の死後、約200年後の貫政9年(1797)、あの「べらぼう」時代に誕生した『絵本太閤記』の「藤吉郎小牧山算樹木」の部分に登場する創作話です。
貫政9年といえば、あの蔦屋重三郎が、47歳で亡くなった年(5月31日)。
『絵本太閤記』は、大阪の戯作者・武内確斎が、挿絵師・岡田玉山と組んで出版した一連の読本のひとつです。
最初は一冊で完結するつもりが、評判に評判を呼び、それに応えるかたちで享和2年(1802)の5年間で、7編84冊が刊行されました。
この本の人気ぶりに便乗し、人形浄瑠璃や歌舞伎などでも演じられたとか。歴史考証で裏打ちした精緻を極めた挿絵が数多く、「絵草紙」よりもレベルが高かったために「絵本」としたといわれています。
のちの享保7年(1804年)には、戦国時代の武将など先祖についてのフィクションは罰するという禁止令がでたために、秀吉や信長など実名で描かれていた『絵本太閤記』は名前を改めることになりました。
余談ですが、こんな大ヒット本、もし「べらぼう」の蔦重(横浜流星)が生きていたら、さぞかし、耕書堂で売りたかったでしょうね。
売るだけではなく、「戦国時代の武将が江戸に甦り、恋川春町(岡山天音)が以前描いた『辞闘戦新根』に出てきた地口(江戸っ子たちが使うダジャレ)の化け物と戦う……
なんていうストーリーの黄表紙本を出しそう。「べらぼう×豊臣兄弟!コラボ」でスピンオフやってくれないかななどと、妄想してしまいました。


