「豊臣兄弟!」直の言葉の真意、藤吉郎はなぜ撃たせた?斬新すぎた草鞋の逸話…第3回放送を考察:2ページ目
あえて急がない義元の戦術
時は永禄3年(1560年)5月。いよいよ今川義元は尾張を一飲みにしようと2万5千もの大軍を繰り出しました。
しかし当の義元が道中で輿から降り、いきなり蹴鞠を始めます。その姿を単なる油断と見たのか、側近の一人が諫言しましたが、義元には考えがあったようです。
一気に攻めかかれば、相手も脊髄反射で何をしでかすか分かりません。それよりもむしろ相手に時間を与えることで動揺を誘い、戦わずして勝つ……そんな狙いがありました。
果たして義元の狙いどおり、織田家中では重臣一同による議論が紛糾し、今にも離反者が続出しそうな勢いです。
信長はそれでも余裕の態度を崩さず、酒宴を開いて能楽「夜討曽我」を鑑賞する始末。佐久間盛重(金井浩人)などは今川に寝返る素振りを見せていました。
視聴者は結果を知っているから悠然と観ていられますが、当時の織田家臣たちは生きた心地がしなかったでしょうね。
「そうきたか!」懐草鞋のエピソード
信長の草鞋を懐に入れて温めておいて、歓心を買った……藤吉郎の有名なエピソードですが、これを初夏の5月にやる展開は斬新でした。
ましてその草鞋を城戸小左衛門のものと誤解していたとは言え、盗もうとしていたなんて……小一郎と二人で片方ずつ懐に入れていたというパターンも、初めて見たと思います。
しどろもどろながらも「雨が降るから濡れないように」「トンビが低く飛んでいるから、あと一刻ほどで雨が降る」「長く百姓をしていた経験でわかる」「もし雨が降らなかったら、私の見立てが甘かったということで許してもらいたい」……次から次へと頭と口がよく回るものです。
果たして信長の興味を惹き、進言の機会を得たものの、さすがに今川の大軍に勝てる策など考えつくはずもありません。
「和睦すべき」と訴えるも「そなたの言葉は軽すぎる」「失せろ」と追い払われてしまいます。

