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【豊臣兄弟!】で織田信長(小栗旬)を刺客から守った丹羽兵蔵とは?史料『信長公記』に当時の記録が!

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刺客を一笑に付す信長

「……よいか。斎藤様のご命令どおり、京に着いたら信長めを……」

やはり彼らは美濃の斎藤義龍より命を受け、信長の暗殺を謀る刺客でした。

企みを知った兵蔵は京に着くと、刺客らの宿所を突き止めて信長に急報します。

「ようした兵蔵!」

信長は家臣の金森可重(かなもり よししげ)と蜂屋頼隆(はちや よりたか)らに命じて、何と刺客を迎えに行かせました。

「ようこそ参られた。殿がそなたらに会いたいとの仰せ。一度挨拶に参れ」

刺客たちの驚くまいことか……仕方ないので、翌日信長と対面します。

「わしを討つため、遠路ご苦労であった。そなたらの企みなど、蟷螂(とうろう。カマキリ)が斧に刃向かうようなものじゃ」

と、信長は刺客らを一笑に付すのでした。

果たして信長は刺客たちをどうしたのか、『信長公記』にはハッキリ書かれていません。皆殺しにしたのか、あるいは何か考えをもって解放したのか……どっちでしょうね。

終わりに

暗殺を未然に防いだ功績をもって兵蔵は恩賞を賜りますが、それ以降の様子はよくわかっていません。

また今回の暗殺未遂事件について、『織田軍記』では永禄4年(1561年)としています。

ただし『言継卿記』では永禄2年(1559年)2月に信長が第13代将軍・足利義輝に謁見している記録が残ることから、やはり上洛に伴う暗殺未遂事件は永禄2年(1559年)に発生したとみるのが自然でしょう。

果たして丹羽兵蔵に今後の出番はあるのか?注目したいと思います。

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※参考文献:

  • 志村有弘『信長戦記 信長公記の世界』教育社、1991年12月
 

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