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実は長州藩の愚行が原因!幕末に結んだアメリカとの条約が「不平等」になってしまった本当の理由

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長州藩の「やらかし」

関税についても、当時の基準では特に不利ではありません。

輸入20%、輸出5%という数字は、中国の天津条約(輸入5%)より高い税率を確保しています。

また酒類には35%の高関税をかけ、日本産業と競合しない品目は5%に抑えるなど、一定の配慮が見られます。

この輸出関税5%という数字により、幕府は大きな収入を得ました。1864年には関税収入が総収入の約2割に達しています。

本当に不平等になったのは、1866年の改税約書からです。さらに言えば長州藩の「やらかし」のせいです。

きっかけは1863年、長州藩が下関海峡を通る外国船を砲撃したことでした。

翌年、列強連合艦隊が下関を攻撃・占領し、賠償金支払いの代わりに一律5%への関税引き下げを要求してきたのです。

これが認められ、日本は本格的に不平等な関税制度を強いられることになりました。

この改税は、長州藩の無謀な行動が引き起こした結果です。

このことは意外と知られていません。明治政府は攘夷派出身者が中心だったため、幕府の外交失策を強調する意図から、1858年条約の不平等性を過度に強調したからです。

実際、和親・通商条約は、中華秩序から西欧中心の国際秩序への移行という外交革命の出発点でした。

先述の通り、ハリスの条約は、当時の国際基準に照らせば比較的良心的な内容だったのです。それを台無しにしたのはあくまでも長州藩でした。真の不平等化は、攘夷派の行動がもたらした1866年の改税約書にあったのです。

この事実から見ると、幕末の外交は単なる不平等の押しつけではなく、複雑な国際情勢と国内の選択が絡み合った結果だったことがわかります。

参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia
トップ画像:長州藩の奇兵隊

 

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