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『べらぼう』最終回、1年間の壮大な黄表紙“蔦重栄華乃夢噺”が完結。チーム蔦重の絆と愛を考察【前編】

『べらぼう』最終回、1年間の壮大な黄表紙“蔦重栄華乃夢噺”が完結。チーム蔦重の絆と愛を考察【前編】:3ページ目

すけべでおっちゃこちょいな神様が集う国

蔦重は、誰かが家に忘れていった、国学者・本居宣長(北村一輝)が政治原理を説いた『玉くしげ』を手にし、幕府の推奨する儒学は日本に合わないと批判しているのに「なぜこの人は手鎖になんないのか?」と疑問を抱きます。

鶴屋(風間俊介)に、「江戸の人じゃないから。それに、市中では少ししか扱っていないし」と聞き、「市中では少し」と、ピンときました。そこで、松平定信に本居宣長への紹介状を書いてもらうように文を出します。

かたや、白河小峰城の場面。家臣の水野為長(園田祥太)が「殿、蔦屋から品が届いております」と箱に入った黄表紙を持ってきます。

手に取りつつ「本屋め。写楽をやりながらこちらも励んでおったようだな」といいつつ嬉しそうな定信。「蔦屋よりの文でございます」と差し出され、しばし宛名書きを眺めて微笑みます。

もしかしたら、「蔦屋のやつめ、私に執筆依頼か?ふふっ」と思ったりして(定信作の源内を装った「死を呼ぶ手袋」の草稿を読み、蔦重は「源内先生だ!」と勘違いしたくらいなので)と、つい、想像してしまいました。

紹介状を携えて伊勢松坂の宣長を訪ねた蔦重。最終回に登場した大物、ちょっといけすかない感じの宣長とのやりとりも面白かったですね。

最初は蔦重のことをかなり警戒していましたが「写楽は越中守の計画だった」という事実と定信の文に驚き、「和学は田安が大事にしてきた学問である」に、ほぉと表情を変えます。

「儒学は『すべき、なすべき、こうあるべき』と政には都合がいいが、異国からのもの。もともと日の本の考えは違った。

この国はイザナミとイザナギが産んだもの。天照大神が、アメノウズメの艶かしい踊り見たさにうっかり顔だしちまったような、すけべでおっちゃこちょいで祭りが大好きな神様が集う国

と静かに熱く語る蔦重。

ここで嬉しそうに表情を崩し前のめりに座り直す宣長。「すけべでおっちゃこちょいはいいすぎや!」と言いつつ、嬉しそうでした。

「その神様たちが起こす、いちいちを俺らのご先祖は受け止めた。生まれくることほろびゆくこと、喜び悲しみ。善も悪ですが“もののあわれ”という、とびきりでけえ器で。そのでけえ器を、わたしは江戸の皆に知って欲しいのでございます。」

もう、宣長がめちゃくちゃ嬉しそうな顔をしてウンと頷く。こういう説得力や人たらし力はさすが蔦重。宣長は蔦重と組もうと心を決めたのでした。

旅の途中、蔦屋耕書堂の黄表紙を読む人々をみて、ここまで自分の手がけた本が全国に広まっていることを実感する蔦重。旅人に「江戸っ子はせっかちだ。黄表紙はすぐに話が終わっちまう。もっと長い話の本を作って欲しい。兄さんたち江戸に帰ったらこの蔦屋って本屋に伝えてくれ」という意見を聞いて閃く蔦重。

江戸から離れ、自分のことを知らない土地で自分が作った本を人々が夢中になって読んでいる姿は、「本で世を耕す」の思いを抱き続けている蔦重にとってはさぞかし嬉しい光景だったでしょう。そして、自分を知らない一読者が何の忖度もせずに「長い話の本を作ってくれ」と求めてくれる。「もっと作ってくれ」は本屋冥利に尽きる言葉ですね。

そして、ここから、後世にずっと引き継がれていくチーム蔦重たちそれぞれの活躍が始まるのでした。

そして、長い夢噺を紡いできた蔦重に最期のときが訪れる【後編】に続きます。

 

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