『べらぼう』最終回、1年間の壮大な黄表紙“蔦重栄華乃夢噺”が完結。チーム蔦重の絆と愛を考察【前編】:2ページ目
十郎兵衛が加わり「写楽」は語り継がれる
チーム蔦重の集まりで「江戸では写楽は誰だ?と噂になっている」という話題になり、「一番骨を折ったのは歌麿。それを発表したらどうか」となるも、「俺の絵といわれてもしっくりこない。皆が写楽、それでいい」と歌麿は笑います。
そこで、「陰で骨を折ってくれた斎藤十郎兵衛も、写楽の一人とのちの世に知られるようにしたい」と蔦重が提案しました。
松平定信が名付けた苗字「東洲斎(とう しゅう さい)」を並べ替えると「さい とう しゅう」=「さいとうじゅう」=「斎藤十」になるということから、「斎藤十郎兵衛殿も、後の世で写楽の一人だっていわれるような仕掛けができねえかって」といい「そりゃまた戯けた話」だと乗ってくるチーム蔦重。
写楽はプロジェクトだったという脚本に、「史実では写楽の正体は斎藤十郎兵衛だ!チームという話はおかしい!」という批判もありましたが、それを見事にひっくり返して気持ちよく着地させた森下脚本でした。
不確かな史実の部分はうまく面白く膨らませつつ「そう来たか!」と唸らせる。森下さんの手腕が光る場面でしたね。
「鬼の子も許された気がする」歌麿の笑顔
「写楽プロジェクト」の功績は、寂しさを抱えた十郎兵衛を仲間にしただけではありません。
最愛の伴侶を失い蔦重への想いも叶わず家を出て、孤独に苛まれ闇堕ちしていた歌麿も救いました。ていの熱い言葉で引き戻され、チーム蔦重に加わり、写楽完成の要となった歌麿。そして、笑顔を取り戻しましたね。
力になってくれたことに頭を下げて礼を言うていに、「こちらこそありがたやまでした」という歌麿。
「なんか、許されているみてぇな気がしたんだ。俺は望まれない子でね。けど、写楽の絵には皆が溶け合っているじゃねぇですか。重政先生や政演さん、政美、一九、春朗、蔦重や南畝先生、三和さん、喜三二さん、源内先生も……俺もその一部っていうか。鬼の子も、この世の仲間入りしていいですよって言われているみたいで」
そんな気持ちだったんですね、歌麿。「声かけてくれてありがとう、ねえさん。にいさんにもそういっておいてよ」と、晴々とした笑顔で帰っていきました。
一般的な説通りに、写楽を一人の絵師にせず「チーム蔦重が結集して完成させたプロジェクト」というべらぼうなストーリーにしたからこそ、歌麿完全復活劇にも繋がったのでした。

