2026年大河『豊臣兄弟!』で注目の舞台──豊臣秀吉・秀長の主君・織田信長の安土城、登城レポート【後編】:3ページ目
天皇行幸を見据えた本丸御殿
黒金門を過ぎると、東西180メートル、南北100メートルにおよぶ強固な高石垣に囲まれた安土城の中心部が姿を現します。ここには、天主を中心に、伝本丸跡・伝二の丸跡・伝三の丸跡などの主要郭が配置されていました。二の丸跡には、秀吉が信長の遺品を納めたとされる信長御霊所があり、訪れた際にはぜひ手を合わせたい場所です。
さらに進むと、細長い形状をした平坦地に至ります。ここが城の中核といえる本丸跡です。本丸跡からもう一段高みに登ると、豪華絢爛な天主がそびえていた天主台跡へと到達します。安土城天主について触れる前に、本丸に何が存在していたのかを説明しておきましょう。本丸には、京都御所の清涼殿を模した建物が建てられていたとされます。これは、信長が京都から天皇を迎えることを想定していたためだと、一般的に考えられています。
そうなると信長は、天主から天皇がいる本丸を見下ろすことになります。天皇家の起源については諸説ありますが、1600年以上にわたって王家として君臨してきたことは確かです。その長い歴史の中で、天皇が存亡の危機に直面したことは幾度もあり、その一つに信長の存在を挙げる説もあります。安土城の本丸に立つと、その説がありえることと感じられてしまうのです。

