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ウグイスは茶色っぽいのになぜ“うぐいす餅”は緑色なの?うぐいす餅の誕生、きっかけは「豊臣兄弟!」

ウグイスは茶色っぽいのになぜ“うぐいす餅”は緑色なの?うぐいす餅の誕生、きっかけは「豊臣兄弟!」:2ページ目

ルーツは「豊臣兄弟」!?

さて、この菓子のルーツは戦国時代から安土桃山時代、天正八年(一五八〇年)頃まで遡ることができます。

当時の大和郡山城主であった豊臣秀長が、兄である豊臣秀吉を招いた茶会をもてなすために、御用菓子職人であった菊屋治兵衛(きくやじへえ)に銘菓を作らせたのが始まりとされています。

献上された餅を口にした秀吉はその風味を大いに気に入り、その愛らしい形状と季節感から「うぐいす餅」と命名したと伝えられています。

奈良県大和郡山市の老舗では、現在でもこの由緒ある菓子を「御城之口餅(おしろのくちもち)」という名で販売しており、四百年以上の歴史を今に伝えています。

ここで注目すべきは、秀吉が命名した当初のうぐいす餅の色合いです。

当時の製法では、現在主流となっている青大豆のきな粉ではなく、一般的な黄大豆のきな粉が使用されていたと考えられます。

つまり、秀吉の目の前に出されたうぐいす餅は、現代のような鮮やかな黄緑色ではなく、きな粉本来の「黄土色」あるいは「茶褐色」をしていたのです。

この色は、実際の鶯の体色である「鶯茶」と極めて近い色合いであり、秀吉がその餅を見て鶯を連想し命名したことに、何ら不自然な点はありません。

すなわち、「昔の人がメジロと鶯の色を間違えて名付けた」という俗説は、当時の菓子の実態を無視した後世の推測に過ぎない可能性が高いと言えます。

3ページ目 なぜ緑色になったか

 

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