戦国武将の“愛欲”事情──信長・秀吉・政宗…女性関係や恋愛観で分かる三武将の素顔
織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗――。
戦国の世に名を残したこの三人は、戦場での冷静さだけでなく、女性との関わり方でも大胆でした。
天下を目指す強い野心と、人としての愛情や欲望。その両方を抱えて生きた男たちの姿に迫ります。
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自由奔放な若き覇者・織田信長
尾張の小さな領主から天下を狙う存在へと成長した織田信長は、女性関係でも自由奔放でした。織田信長は複数の側室や愛妾を迎え、戦いに勝った祝いの席に女性を同席させることもあったといわれています。
若い頃の織田信長は、美しい女性や才能ある女性に強く惹かれ、敵味方を気にせず声をかけることもあったと伝わります。そのため、恋愛は政治目的よりも自分の気持ちを優先することが多く、その奔放さが周囲を驚かせました。
また、宴の場では側室たちの言葉や表情の変化をよく観察し、駆け引きを楽しんだといわれています。戦いでは冷静そのものの織田信長が、女性関係では大胆に振る舞う。そのギャップが織田信長の個性をより際立たせているのかもしれません。
出世とともに広がる女性関係・豊臣秀吉
織田信長の死後、天下を取った豊臣秀吉もまた女性関係が派手な人物として知られています。豊臣秀吉は正室や多くの側室を迎えただけでなく、大名の娘を側室として迎え入れ、恋愛と政治を同時に動かしていきました。
とくに淀殿(茶々)との関係は、恋愛でありながら政権を安定させるための大きな力にもなったといわれています。
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豊臣秀吉は明るく気配りができる性格の持ち主で、自然と女性を惹きつけました。宴の席や手紙のやり取りで、女性たちの気持ちや忠誠心を見ようとする場面もあったとされます。
豊臣秀吉は愛情に流されるだけの人ではなく、人の心を読む力に優れた政治家だったのです。
2ページ目 カリスマ性で女性を惹きつけた伊達政宗
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