『べらぼう』蔦重の“初恋の師匠”で最長の相棒!北尾重政の影の功労者ぶりを史実とドラマから探る:3ページ目
蔦重が瀬川に贈った豪華錦絵本『青楼美人合姿鏡』
安永5(1776)年、重政は蔦重のオーダーで、葛飾北斎の師匠・勝川春章(前野朋哉)と組み、色彩豊かな豪華錦絵本・大型本三冊セット『青楼美人合姿鏡』を作りました。「べらぼう」では、身請けされていく瀬川(小芝風花)に蔦重が餞別として贈ったシーンは、いまだに記憶に残っているという人は多いでしょう。
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史実では、この頃になると、重政の画風は当時の女性のトレンドを敏感に取り入れより現実的な画風へと変化。『青楼美人合姿鏡』では、従来の浮世絵と比べると、女性の頭身や肉付きなどをリアルに描き重厚さと温かみをプラスした新しい画風になり、浮世絵界に新風を巻き起こしたそうです。
天明6(1786)年には、重政は蔦重のもとで狂歌絵本『絵本八十宇治川』(えほんやそうじがわ)や『絵本吾妻抉』(えほんあずまからげ)を刊行します。蔦重と重政は出会って以来、ずっと名コンビとして互いに刺激を与え合いながら、数多くの本を世に送り出したのでした。
指導力だけでなく面倒見がよく付き合いもいい性格
二人の関係が誰よりも長く深く続いたのは、重政の「面倒見のいい性格」も大いに関係しています。
史実でも、重政は優れた指導力があり、面倒見がよく、数多くの弟子を育てています。特に、北尾政演、北尾政美、窪俊満の3名は北尾重政の指導のもと独自の路線を見出して、個性豊かな作品を世に送り出しました。
「べらぼう」の中でも、弟子(北尾政演とか)の不義理を詫びに一緒に蔦重のもとに訪れ「すまねえなあ」と頭を下げてましたね。また、常に物事を俯瞰して観察し、適切なアドバイスをする面も。
新しい仕事を始めるときは重政に相談する蔦重が、女郎の錦絵を出す際に、お金を出す吉原の妓楼主たちに「歌麿は無名だからだめ」といわれて北尾政演に依頼しようとした時のこと。
重政が「俺は“歌”にやって欲しかったな」と言いました。「駆け出し絵師の作品を見ると、将来彼らが落ちつく画風は読める。けれど、『歌』はからきし読めない」と言ってたのが、さすが先見の明があるなと思いました。
また、自分の弟子ではないのに蔦や歌麿に「摺師への指示の方法」をレクチャーしたり、「弟子に自分の名で絵を描かせるのはいかがなものか?」と悩む歌麿をサシ飲みで相談にのったり。ほんとうに、こんな先輩や上司がいるといいなと思わされる人柄でした。


