『べらぼう』歌麿と蔦重、“二人の男の業と情”因果の果てに「写楽」の絵が誕生!?史実を元に考察:2ページ目
何も言わない本屋たち、注文の多すぎる蔦重
蔦重のお抱えから卒業し、フリーランスとなった歌麿。しかし本屋たちは何も言ってくれず、不満を募らせていました。
本屋たちにしてみれば、歌麿の絵なら何でもいいと言う以前に、売れる絵ならば何だっていいのでしょう。
美人画だろうが妖怪画だろうが自然画だろうが……客が買ってくれるなら何でもいい。浮世絵なんて、しょせんは商品に過ぎないのですから。
しかし、歌麿にとってはそうじゃありません。我が子にも似た思いを込めて描き上げた絵たちが、単なる商品として扱われるのは、やるせない思いだったことでしょう。
むしろ蔦重のくどさ≒浮世絵に対する情熱が、癖になってしまったのかも知れません。
一方で蔦重のくどさにうんざりしていた絵師たち。『一目千本』以来、ずっと心血を注ぎ続けてくれた北尾重政(橋本淳)さえもがキレてしまいました。
「こっちはテメェが言った通り知恵絞ってんだ!これじゃねぇあれじゃねぇならガキでも言えらぁ、べらぼうめ!」
そりゃそうです。ビジョンを共有せずただ「こうじゃないんだ、やり直せ」だけ言われたところで、描かされる方はたまったものではありません。
見ている方(視聴者)としては、昔から繰り返されるこの「みんなで取り組む、創作の苦しみと楽しみ」シーンはとても楽しいですけどね。
