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朝ドラ「ばけばけ」ヘブン先生の“想い人”は史実ベース——イライザの実在モデルの壮大すぎる生涯!

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文芸志向の記者、世界一周旅行へ

新聞記者として働くエリザベスは、少しずつ文芸志向に傾いていきます。

1887(日本では明治20)年ごろ、エリザベスは大都市ニューヨークへ移住。新聞「ザ・サン」などに記事を寄稿し始めました。

1889(明治22)年には、ニューヨーク・ワールド紙など複数紙で仕事をしつつ、のちに運命を大きく変える雑誌 『コスモポリタン』 とも関わるようになります。

エリザベスは書評やエッセイなど、より「文芸寄り」の記事を得意としていました。

彼女のキャリアを一言でまとめるなら、「文芸的素養を備えたジャーナリスト」と言えるでしょう。

やがて、エリザベスが世界的に著名になる機会が訪れます。

1889(明治22)年11月、ニューヨーク・ワールド紙は、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』にならい、看板記者ネリー・ブライを世界一周の旅に送り出すと発表します。

このニュースを聞いた『コスモポリタン』編集長ジョン・ブリズベン・ウォーカーは、対抗企画としてエリザベスを呼び出します。

そして11月14日、エリザベスはブライト同じ日に、しかも反対方向から世界一周に送り出されました。

エリザベスはヨーロッパ経由の西回り、ブライはアジア経由の東回りという「正面衝突」でした。

エリザベスは、のちに回想的な文章の中で、自分が必ずしも冒険好きではなかったことをほのめかしており、この旅は彼女にとって「望んでつかみ取った栄誉」というより、「編集部から与えられた突然の任務」に近いものでした。

とはいえ、一度引き受けた以上、彼女は冷静な観察者として各地を記録していきます。

3ページ目 日本にも滞在していた!76日間の旅で掴んだものとは

 

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