朝ドラ「ばけばけ」祖先の神々を尊べ!ヘブン先生の言葉に魅せられ…正木清一のモデル・ 石原喜久太郎の生涯:2ページ目
研究最前線!日本の衛生学界で果たした役割
喜久太郎は教授となってから、自らの分野の最前線で活躍していくこととなります。
昇任後、喜久太郎は大学で第二の衛生学講座を担当。のちには黴菌学(細菌学)講座も受け持ちました。
研究テーマで最も広く知られるのが鼠咬症(そこうしょう)です。
大正期には、伝染病研究所の同僚・門人らとともに病原スピロヘータに関する実験研究を継続し、その成果は『伝染病研究所学友会雑誌』などに公表されました。
とくに大正6(1917)年の「鼠咬症ノ實驗的研究」は、石原・太田原豊一・田村幸太郎の連名論文として残り、当時の検査技術・動物実験・病原認識の最前線を具体的に示しています。
この鼠咬症研究は評価を受け、昭和4(1929)年には日本学士院の日本学士院賞(東宮御成婚記念賞)を受賞しました。
授賞審査要旨は、実験的研究の貢献を高く評価するもので、喜久太郎らの共同研究が当時の感染症学に与えたインパクトをうかがわせます。
喜久太郎の仕事は基礎感染症学にとどまりません。文部行政に接続する形で、学校現場の健康管理・保健体制の整備にも深く関わりました。
喜久太郎の著書『石原学校衛生』は、近代日本における学校衛生の出発や制度化の過程を、医師の立場から整理したテキストです。
本書のなかで喜久太郎は、「日本の学校衛生の歴史は明治二十四年(1891)十月を出発点と見なせる」といった問題提起を行い、制度史と実務(検診・結核対策など)を往還させる視点を示しています。
研究論文でも学校衛生行政史の文脈で同書が頻繁に参照されており、教育・保健史の交差点で位置づけられる仕事でした。
また、当時の青年団・体操・武道をめぐる「身体の鍛錬」論議に対しても医学・衛生の観点から発言。身体教育をめぐる公共政策と保健医療を架橋しようとしました。
大学・省庁・社会団体が横断的に関与する領域で、医師として可能な役割を粘り強く模索した点に、喜久太郎の実務家としての顔がよく表れています。
