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【世界遺産】熊本県・万田坑(まんだこう)はなぜ“近代日本の鍵”だったのか?技術と歴史を読み解く

【世界遺産】熊本県・万田坑(まんだこう)はなぜ“近代日本の鍵”だったのか?技術と歴史を読み解く

江戸時代の終わり、幕末期から明治時代にかけては、日本の社会システムが大きく変わった時代でした。

動乱が終わった明治期には、日本の近代化を進めるような政策が多くとられましたが、今回は、そんな日本の近代化を支えたもののひとつ「万田坑(まんだこう)」について紹介します。

そもそも万田坑とはどんな施設なのか、どんな特徴があり、どのような功績があるのかなどをわかりやすくていねいに解説します。

「万田坑(まんだこう)」の基礎知識

万田坑(まんだこう)とは、熊本県荒尾市(一部大牟田市)にある竪坑(たてこう:鉱山や炭鉱などで、鉱物・材料・人員の運搬、または通気の目的で地表から坑内へ垂直に設けた坑道施設)です。

三池炭鉱(みいけたんこう)を代表する坑口のひとつで、日本の近代化を支えました。三池炭鉱とは、福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがるエリア(=三池)で、江戸時代から炭鉱が存在していた場所を指します。

「万田坑(まんだこう)」が歩んできた歴史

万田坑は、三井が当時日本の炭鉱の模範とすべく、総力を挙げて整備を開始しました

1897年(明治30年)に開削(かいさく:土地を切り開いて道路や運河などを通すこと)が始まり、1902年に第一竪坑、1908年に第二竪坑がそれぞれ完成しました。規模は日本最大規模を誇ります。1902年(明治35年)からは実際に出炭が開始されました。

竪坑の完成、そして大正から昭和にかけて、さまざまな施設も作られていきました。本格的に創業が開始された明治末期ごろには巻揚機室、デビーポンプ室、鍜治場、櫓、扇風機室、汽罐場などが完成。

2ページ目 時代の流れとともに、閉山を迎える

 

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